浜野喬士の「エコ・テロリズム」という本を読んだ。なんとも表現がむつかしいのだが、本人もあとがきで書いているように憂鬱な気分にさせる書物だった。書物の記述が支離滅裂とはいわないが、かなり散漫で、おそらく著者の頭の中ではつながっているのだろうが、読んでいる者にとっては突然出現する名前と内容についていけないしろもの。
それでも、最後に近くなって納得したのは本人がこれまでカント哲学の研究者だったということを述べていたからだった。おそらく著者は何かに捉われてこの本を書いたんだなということはわかったが、そこに告白されている方法論とちがうところに問題が存在するように感じた。
しかしながら、この書物が私に別の意味で憂鬱な気分にさせるのはこうした著者の取り上げ方にあるのではなく、内容そのものの重さにある。ちょうど、ユダヤ人問題を正面からとりあげているような「ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い10分間の大激論の謎」を読んでいて、感じるのとおなじような憂鬱な気分なのだ。
私はたいていの本を楽しく読んでいるし、問題を真剣に考えながら読んでいるのだが、この二冊の本は双方ともやりきれなさをぬぐえない。すべての困難が絡み合っているとしか言いようのない本だから。私には読みこなす力量が不足しているのだろう。
憂鬱な気分
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