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正義を装ったもの アーカイブ

2007年7月18日

専門家の社会的責任

地震予知に関する専門家の意見はいずれも「現状のデータ集積と観測体制では困難」というもののようだ。それはそれとして専門家というものは全力を尽くしている訳だから誰も責めようなどとは思っていない。しかし、科学的議論と社会的要請がこれほど緊張感をもっている事案もそう多くない。
平成10年に当時文部省の諮問機関として測地学審議会が国の地震研究の方向を見直すべきとして出した中間報告ではじめて、専門家の側から予知は難しいと正面から認めた報告がなされた。
いわば専門家の集団が技術的に限界があると認めたわけだが、それでは防災や安全への対応は地震という災害について同じように打つ手はないのか、限界があると放棄されたのか、このあたりはあいまいなままである。文部省の管轄ではないという役所特有の縄張り感覚で専門家である学者の報告があればそれでよしとしたわけだ。もちろん、防災は文部省の管轄でないだろうということはわかっているが、それなら何のために諮問機関を設けたのか。社会的要請があったから大臣は諮問していたのであろうし、その社会的要請はその後消えたかといえば、むしろ強まっているとしか思えない。それまでに投じた予算はその後も広範囲の観測を継続していく礎になって現在まで多くのデータを蓄積してきた。この予算の消費を国民は無駄だとは言っていない。もどかしくはあっても、じっと成果の出るのを待っているというほうが多くの国民の実感に近いのではないか。ここ数年のGPSによるデータの蓄積によりプレートの動きが判明してきていることなど素人でも期待が膨らんできているのが現状だと思う。その後国土交通省へ予知の関心は移り、予知連絡会に対する注目が高くなったが、基本的構図は何も変わったとは思えない。
また、今回の19年中越沖地震で柏崎原発の想定慣性重力の3倍もの揺れが発電所を直撃したというニュースはおそらく技術者なら肝を冷やしたのではないか。専門家としてどのように社会的要請に応えていくのかという重い課題は、しかし何も原発の耐震設計の基準だけの問題ではなく、地域の地震予知、そして災害が訪れたときの対応も等しく重い課題であることは同様である。専門家の意見はこれら社会的に影響の大きいさまざまな問題に対する唯一のよりどころとなるものだろう。その社会的責任を意識した言動が求められており、マスコミの無責任なあおりの報道を厳しく指摘し、糾していくことも社会的責任のひとつといえるだろう。
たとえて言えば、医師の医療責任の問題と重なる。個人であれば、家族を含めて通常ならだれも医師の技量を疑わないし、信頼関係の中で最善を尽くしてくれているという思いがあればこそ患者も治療に専念できる。医師は人命にかかわるので逃げるわけにいかない。直接患者に患者の容態や治療法方について説明をするインフォームドコンセントは、今では社会的要請として双方とも了解し、地道に実施されている。
地震予知にかかわっている専門家は自信をもって発言するべきだし、領分を越えて一般の防災対策についても積極的に意見を言うべきだろう。誰もがどうしてよいのかわからないなかで、唯一頼りとしている専門家が社会の反応を恐れて口をつぐんでいるという事態こそ、社会的責任を放棄していると言われてもしかたがない状況ではないだろうか。
地震予知の困難さは誰もが認めている、データの判断を専門家に求めているわけではなく、自分たちが専門家としてこういう点に疑問をもち、こういう点にデータ抽出の重点を置いて観測を継続している。これらのデータから確実に言えることはないが、全体としてこのような状況となっている。判断を下すことは社会経済的な影響があるので直接できないが、この事実は知っておいて欲しいと発言するべきではないのか。そう思う。

地震予知の議論

専門家の責任ということでエントリーを書いたが、本日発刊されたNewtonに次回8月25日発売の記事で超巨大地震の特集が載ると予告された。さっそく、キーワードを検索したら「アスペリティ」があった。こういった学説は十分検証されていなくとも可能性のひとつとして説得力がある。科学は検証されるべきという専門家の誤った科学に対する思い込みが一般への公表の障害にあるように思えてくる。
こういった点をもっと公表していくべきだろうというのが私の持っている社会的責任の話だ。地震予知が議論の途上にあるということは誰しもわかっているが、昨年の原子力保安院の基準変更などもあたらしい知識をもとに巨大地震の起こる可能性をさらに現実的に捕らえている点で評価できる。要は、防災という生命に直結する事態への対処についてはできるかぎりのことをするべきではないかということだ。

2007年9月 4日

科学

科学という言葉にはさまざまな意味と歴史が負わされている。
幕末の高野長英が「漢洋内景説」を書いて科学的態度の重要性を指摘したが、その後翻訳において西周が科学を造語したとき、現在のような使われ方を想定していたであろうか。もともとの外国語にも種々の意味や用法があるが、これほど誤用に満ちた語もあまりないだろう。
わが国で敗戦直後に津田左右吉が「日本歴史の研究における科学的態度」を公表し、のちに論文廃棄の指示を与えたとの話も科学という言葉が持つ魔性をあらわしているように思える。
そして、科学と、マジック。クラークの第三法則にいわく「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」。クラークも言うように、科学技術も発達しすぎると、魔法になる。魔法になってしまうと、誰もタネあかしを求めははしない。発達しすぎた人工物に囲まれていると、身の回りは「そういうもの」ばかりになる。その境界をだれも検証しようとはしない。子供だけが健全な好奇心で魔法を解こうとする。
なぜ?という問いを忘れたとき、科学は魔法と同じ顔をもつ。

2008年1月16日

会計の潮流

この一週間でサブプライム問題はあらたな局面を迎えたと思うが、わが国にもたらされた急激な円高と米国金利との格差縮小は市中金利の低下と株価の急落を招いている。
こうした事態を見て不思議に思うのは、ひとつには米国でのサブプライムローンの格付けの妥当性であり、もうひとつは損失の定義と公表のあり方である。
特に損失の定義は欧米のかつての教訓を糧にして現在の時価評価システムが構築され、この時価評価をベースに損失の認識がおこなわれてきたわけだが、時価のなんたるかは時間の要素をどう組み入れるかが核心部分であると思われる。計算に便利な、もしくは計算可能な評価はコンピュータ全盛時代を迎えてあたかも万能であるかのごとく利用され、経営の評価や公表の指標として活躍している。
現在大半の市場参加者がリスクヘッジという点ではブラックショールズの方法についてその根拠や信頼性について疑義を挟んでいないし、むしろ教科書としているともいえる。しかし、ブラックショールズの方法は現在でもその基本的な有効性はあるものの、ボラティリティσとドリフトμが定数であるということは前提ではあっても、現実の経済では定数でないのは常識である。むしろ、これに触発されてプライシングに関してさまざまな時間アプローチが出現し、なんとか市場のモデル化を図ろうという努力が続けられているのが現状といえるだろう。
これらの努力が無駄だといっているわけではないが、近似化していくモデルの測定にはこれまで積み上げられてきたさまざまな信用リスク、経済的損失の評価が含まれており、債権者が回収の現場でどのような交渉を行い、どのように判断して債権をあきらめるか、どの部分を回収するのかまで時価評価の方法に組み入れられているわけではない。これらは会計原則や税制に負うところが多く、モデル化に抵抗を示しているとでもいえるだろう。
私には、現在のサブプライム問題には、これまでの議論が対象としていない信用リスク問題、すなわち企業ではなく個人の債権を対象にした不良債権問題であるところが問題の本質と深くかかわっているような気がしてならない。超長期の時間軸の中での資産価格の一般理論として登場した「マルチンゲールアプローチ」はブラックショールズへの批判を意識した理論で期待のもてる部分はあるものの、現場との接点である信用リスクの測定のところでまだまだ道は遠いという感がある。

2008年2月10日

予算の使い方

本日の日本経済新聞のコラム「かがくCafe」に大久保公策が予算の使い方について批判している。
書いている趣旨は以下のようなものである。これまでさまざまな省庁がそれぞれつけた予算でヒトゲノム等の生命科学分野のDB(データベース)が250件ほどあるが、使えるデータベースがどこにあるのか、アクセスしたDBでどんな成果が得られるのかすぐ判定できない。結局、そのDB作りに直接関係した研究者だけが使い、管理予算がなくなると保守もされず、やがて所在不明になる例も出ているとのことである。各省もDBができれば事業は成功した(!)とみなし、一貫して整備する施策はない。データの所有権もあいまいだという指摘である。
これは、こういった研究開発にかかわらずすべての予算の使い方の欠陥ではないかという気がする。
無駄なことに税金を使って国民の批判を浴びるのは誰かがその結果を検証し、これはおかしいのではないかというまで制度として検証するというシステムになっていないわけだ。現実に現場で研究し、開発し、血のにじむような努力をしている者にとってみれば唖然とするような話だが、これがわが国の予算執行結果に対する検証制度の実態だ。国民にとって予算は使うことに意味があるのか?
大久保氏の指摘は米国のように国民を顧客と見る事業を行い、成果は等しく国民が利用できるようにするべきというものでこれが正論だと思う。税金を食いものにして行こうという人でない限り、普通の感覚であればそういった結論になるのではないか。
ギョーザ事件で官僚組織の動きの鈍さにあらためて気がつき、統一したコントロールをする部署を作ると政府が発表していたが、屋上屋を重ねる愚行としか見えない。今の縦割りそのものの弊害以外に考えられない。

2008年4月28日

精神鑑定と医師

東京地裁の今日の判決
この中で「鑑定結果は参考意見にすぎず、責任能力の判断は裁判所が行う」とした前提は当然とはいえこれまで明確に述べられなかったことであり、評価できる。
かつて私がこの欄で述べたこともこのような発言を期待してのことであった。
そういう意味では、裁判員制度を目前に控えたこの時期にふさわしい判決という気がする。

2008年9月 4日

新秩序

ロシアの新大統領は危険な賭けに出ているように見えるが、意外に時代を先取りしているのかもしれないと思い始めた。特に外貨準備がこの国をこれだけ強気にさせているのだろう。
欧州と中国以外は主だった国で首班の指導力に疑問符がつく状況を巧みにとらえて、勢力の拡大をはかるところなど機敏な判断の持主というところだろうか。
日本の改革派がもたもたしているところでさっと動き回り、気がついたときには勢力図が激変していたという結果になるのだろう。米国の選挙が国内問題に関心が向いているのも同じ結果となるだろう。
これからしばらくはなんとなくいやな気分だ。株価もそういった地政学的な動きを読んでいるにちがいない。

2009年4月 1日

金融危機

今日は日銀短観で最悪の数字が出たと報道されている。
この半年間の金融危機による急速なリセッションは、そのスピードの速さと変化の大きさでこれまで人類が経験したことのないスケールに拡大していることが伺える。
ここで私が半分は年金生活者として、半ば傍観者として感じるままにこれらの事態に対する感想を書いてみよう。
金融危機はいわゆる会計基準のもたらした結果であって、直ちに表面化している問題がそのまま実体経済の変化と同じと解釈するには無理があると考える。すなわち、リーマンの破綻にいたる前、投資家は何も問題は起こっていないと信じ、或いは信じようとして住宅ローンやその他の消費財に対する過大な期待を持っていた。そうして金融商品に対して充分な調査や知識もないのに投資してきたというわけだ。それが事実を突きつけられているだけであって、事実の変化率は何も変わっていないと考えるべきだろう。投資家やマスコミが騒ぎ立てるサイズの変化が金融部門で起こっているとは考えにくい。
現に、米国や欧州で行なわれているのは比較的健全な金融機関に対する大掛かりな公的資金の投入で、これは日本が数年前に痛みを伴って経験した信用機構を守るための王道だから、市中に供給される信用乗数効果を維持する目的があるから行なわれているといえる。納税者の反感を買わないためにオバマは公的資金投入の金融機関経営者にボーナスを返上せよと呼びかけているが、破綻していないのでパフォーマンスに終わろうとしている。
次に製造業を中心とした実物経済の危機だが、これは個人消費が縮小しているので各企業がリストラクチャリングで対応しているところだ。こういったさまざまな対応でバランスを回復し、縮小均衡が損益分岐点を低下させることに貢献していくだろう。いろいろな見方があるが、3年から5年かかってバランスを回復するのではないかというのが大方の感じかなと思う。もちろん金融部門が健全化に協力していくことが重要だ。
そうすると、問題は、大きく公的資金を投入した金融機関の回復と、これまでのわが国では考えられないような社会問題となった大幅な人員削減を実施して対応している製造業大企業の回復がどうかということにかかってくるのではないだろうか。もちろん中小企業やその他業種の大企業の動向も影響はあるだろうが、結論的には元気なところと放漫経営をしていたところの回復破行性が大きくなるものの、元気なところを中心に早期に回復軌道に戻ると考えられる。
もちろん、回復とは昨年までの量の回復という点ではなく、あらたな市場の創出による需要の盛り上がりによることとなろう。消費動向もこれまでのようにモノ中心で道路や建築に傾斜した消費ではなく、もっと個人消費のソフトな側面が主流になっていくような気がする。今回の危機は構造改革に大いに貢献することだろう。
輸出の回復はBRICSを中心に期待されているようだが、主力はわが国国内や欧州、そして現在破綻の危機にある資源国家群が中期的には実需の出る地域だと思う。米国はさまざまな消費者支援策が過度に傾斜しており、元気を取り戻すのにまだ多少時間を要するだろう。もっとも構造改革に痛みを伴うのは米国であり、欧州、日本と次いで、BRICSは国内の構造改革というより世界の経済体制の構造改革に寄与していくこととなろう。

2009年4月29日

豚インフルエンザがフェーズ4に格上げでマスコミの論調が一気に変わった。なにやらよくわからないが、たいへんな事態に進みつつあるというトーンだ。特にバラエティ番組では関心を一気に集めて視聴率を稼ごうとしているとしか思えない。煽っているような番組が多い。
つくづく正しい報道と正確な情報の伝達はむつかしいものだと思う。
これは言語や言葉に関する困難であると同時に、経済や感情の困難でもあるだろう。マスコミの責任は非常に重い。
現状は世界中の人的物的な交流を今まで以上に活発にしないと経済の破綻をきたすリスクが増大している。この一番大事な時にこういった問題が起こったということはある意味で非常に不幸なタイミングといえる。問題なく流通する人とモノの流れがフォーカスされ、問題を引き起こすかのような報道がなされるのはそれこそ大きな問題だ。
感染者には気の毒だが、社会の安全のため、一時的に隔離されるのはやむを得ない措置でもある。
要は正確な情報と正確で必要かつ十分な対応がなされるべきで、それ以上でも以下でも具合が悪い。特に反応の過剰はなにより避けるべき態度だろう。

なぜ豚なのか、ネーミングと事実の相違

スチーブン・ピンカー「思考する言語」には単語の意味についての深遠な議論がある。
名前(固有名)は固定指示子であるというクリプキの結論につづいて、別のカテゴリーである自然種の名前についてピンカーは次のような議論を展開している。
ある自然種(中世の錬金術師の言う金と現代の物理学者が言う金の定義はまったく違うが同じものに言及している)に関する人間の科学的理解が変わっても、その種を示す単語の意味が変わるわけではない。そうでなければ、異なる時代の科学者(または同時代でも異なる説を唱える科学者)が、互いの考え方の違いについて議論することはできない。つまり自然種名の意味は、名前の意味と同様、記述でも定義でもなく、世界に存在する何かを指し示す「ポインタ」なのだ。太古の昔に誰かが、ある物質や物体を指し示すために、親が子に命名するように、ある単語をそのものに与えたとき、それは意味を獲得する。そうしたのちに、人々が「これは金というものだ」などと言うことによって、その単語は次の世代へと受け継がれていくのだ。(中略)パトナムによれば、単語も財やサービスと同様、社会の分業の産物であり、私たちはすべての単語の意味を自分で区別するのではなく、多くの場合、専門家に肩代わりしてもらっているというのだ。(中巻242ページ)
豚の名前が変更された場合、もしくは日本の当局者のように新型とぼかして名前をつけていても、言及されている事実に相違はない。人口に膾炙された名前はそう簡単には変化しない。このネーミングに経済的被害を受ける人たちが多数存在し、表現を抹消しようとしても、パラドックスに陥るだけである。
「・・・・・・」という言葉を使わないようにしよう。という法律を作るためには、「・・・・・」を記述しなければならないのだから。

flower

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