新年を迎えたがどこも見通しの開けない八方ふさがりの話ばかりだ。誰もが萎縮している。遺伝子組み替え研究がストップする傾向にあるとの報道が象徴的だ。何を狙って研究をしていたのかと言いたい。消費者が拒絶反応を示しているのは正しくてわかりやすい情報のない食品にはなにがあるかわからないという恐怖があるので手を出さないという単純な事実だ。遺伝子組み替えは安全に関する情報が確保され、実験も踏まえて市場に出ているものと誰もが考えていたからこそ安全と信じられていた。消費者の信頼を失ったのは自分たちが手順を無視したからであって、その方法の問題点を反省せずに問題の解決から逃げるのはこれまでの開発努力を認めない極めて馬鹿な反応だ。もし、開発の手順を無視して市場にわけのわからない商品を供給していたとしたら問題外でなにをかいわんやというところだが、きちんと開発したものであれば供給時の手順を踏みなおし、その事実を公表すればよい。
これらの反応の責任は第一義的には流通業者にあり、背景には国民の自立心の欠如がある。なんでも他人任せで安全という生存に必須のことすら自分では決められないし、教育されていない。わからないのなら自分で検討し、道を開くかリスクをとるか決断するべきだが、萎縮の方向へ雪崩れ現象をおこすだけという情けないありさまだ。要は、正しい情報をみずから取得しようという努力すら放棄しているのが現状で、あと数年もすればなぜ研究費を削ったのかとか、日本の国の為政者は先見の明がないとか目先の批判が噴出するのは目に見えている。
そもそも食品の安全性は近代に入って開発された一部の合成化学工業製品である加工食品や添加物以外ほとんどすべてが人類の長年の経験による知識に負っている。情けない話だが病気につながり、生命にとって危険であるかどうかは急性の反応が認められる食品以外近代医学ではほとんど問題にされていない。やっと最近になって生活習慣病という言葉が市民権を得て消費者が反応するようになった程度だ。アミノ酸はどのような形であれ消化力の中で血となり肉となっていたし、澱粉はエネルギーを供給しつづけてきた。多少ちがうものでも生命力はこなしていく力があると伝承による知識にはインプットされているのだ。先祖から知識を受け継いでいなくとも動物である人類は匂いや色である程度の危険の判別ができるはずなのだ。

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