2003年7月アーカイブ

法と正義

| コメント(0)

イラク戦争の根拠は結局なかった話で、その責任はいまやブレア政権の存立をかけた泥仕合になっている。BBCの判断が正しかったのか、「報道機関の倫理」とやらが金科玉条のように唱えられているが言論の自由はいまや報道にまつわる情報源の秘匿などという前時代的なもので守られるのかあやしくなってきた。言論の自由を言うより、言論の暴力を問題にするべきではないか。かび臭い倫理を重視するあまり守るべき大きな何かをBBCが失う瀬戸際にあると感じる。

長崎の幼児殺害では法務省の躍起の努力にもかかわらず加害者情報は真実も偽情報もNETにあふれている。そして、加害者が守られるべき未成年者ならその保護者が名乗り出るべきとの大臣発言は非難された。なにか狂っていないか?言い方があったにしても。法は守られるべきだが、時代錯誤の法は修正を受けていかざるを得ない運命にある。枝葉末節で法を守り、ソクラテスのごとく死を待つのか。大切なものをひとは失いたくないはずだ。被害者の人権を主張する被害者家族の声にもっと耳を傾けるべきだ。

特許制度

| コメント(0)

今度は韓国での産業スパイ防止策の話。起こりうる話だ。携帯電話製造会社はこの現実をどう判断するのか。自社が産業スパイに企画をあらされる事態となった場合は、単に道義的に行動を制限するという主張だけで通用するのか。

建前やこれまでの常識でなく、事実が先行していて、犯罪性云々の主張があとから出てきている。立法を行う側も、それを審議するものも、法を適用し、取り締まり、裁判するものも、皆がなにが正しいか、それぞれが思いつきと目の前の事実に対する反応だけで声を張り上げている。

損害をこうむっていると主張する業者は、損害の立証をできずにいる。また、実際に損害など発生してなどいないに違いない。特許制度の不合理は、技術の発展とともにその陳腐化のスピードが速まってきていることにある。無形資産の償却年数もおそらく実態は1年以内なのに、5年や7年という非現実的な基準だ。

プライバシー

| コメント(0)

シンガポールで起こった出来事は、全世界で起こりうる。これは生徒が悪いと言わんばかりの報道だがはたしてそうか?

学校が公共の場所かどうかが問われていることのひとつ。日本の現状からは教師の私的な空間に近いのではないかという気がする。この閉塞空間を解放しようという生徒の気持ちはよくわかる。許されるべき行為だと思うが。

一方で、一歩外に出ればプライバシーは基本的に守られにくくなってきているという恐ろしい事実を人類は観念すべきだ。

イラク戦争の根拠となった大量破壊兵器は、結局見つからないのではないか。英国では、原因とも言われた報道の情報源と名指しされた人物が自殺。情報の重要性はわかるが、その信憑性をどのように評価できるのか、大きな課題だ。

視覚の優位

| コメント(0)

ニュースで携帯による出版物の盗写が話題にされていたが、先日の森山和道の日記でも違った角度から携帯電話の機動的な能力により革命が引き起こされているとの指摘があった。

オーウェルの1984年には少し間に合わなかったが、いまや映像の持つ強力な思考誘導力というか、視覚へ過度に傾斜した現在の文化の弊害というか、たしかに普通の人が意識せず、きわめて犯罪的なことを平気で行っている。そして誰もそれをおかしいと言わない。いや、言えない空気がある。

人類の感覚の中で、視覚が圧倒的優位にたったのはおそらく西洋で中世が終焉を迎えたころだろうが、この世界観を修正すべき時期がちかづいてきているのではないだろうか。他の五感に訴える道具の開発されることを切に期待する。

1984年といえば政府の個人監視がテーマだが、今まさに米国ではこの話題が深刻な段階になっている。そして、上記の森山説にもあるが、一方では自由なネットの存在は不健康な個人監視を許さなくなっていくのではないかという意見も希望的観測を込めて存在する。

NTTの規制緩和に関する国会での騒ぎは、時代錯誤以外のなにものでもない。NTT問題は雇用問題であって、営業政策の話ではない。設備の償却と更新、従業員の転籍ができないかなど経営の問題に政治家が利権の匂いを感じて動いたために話の焦点がぼやけたわけだ。結局尻すぼみでわけのわからないことになった

複雑性のリスク

| コメント(0)

半官半民というより、少しの政府出資があるために、投資家は過度に安心している。政治的配慮があるだろうと勝手に都合よく解釈してリスクを過小評価するというどこにでも見られるパターンだ。米国の住宅金融公社問題は実態を知らないままに投資家が資金をつぎ込んできたとも言えるだろう。エンロンの問題と同様にフレディマックの会計疑惑によって粉飾があきらかにされようとしている救いはエンロンのように意図的に投資家を欺くまったくの粉飾ではなく、変動の激しいデリバティブ会計の影響を隔離し、素人目にわかりやすくしようとした思惑が垣間見えるところだ

つまるところ短時間に企業を判定し、投資資金をつぎこむかどうかを決断するためにはシンプルな指標を必要とする。ひとつの要因を重視すれば切り捨てられた要因は無視される。全体としてはおかしいのではないかという議論は必ず生まれる。デリバティブの手法の問題のひとつはあまりにも専門化しすぎているところだ。ひとつひとつの議論は正しいし、判断の指標とも矛盾しないがコンピュータを駆使して多くの分析を組み合わせて複雑性を増したところにデリバティブの犯罪性が潜んでいる。要するに投資家を意図せず欺いているのだ。複雑性のリスクに対応できていない

ところで、国内の株式市場は円安方向を歓迎して異常に盛り上がっている。しかし、本当に円安か?外人買いという点でひとつの方向が定まったとも言える。昨年10月この欄でも書いているがおそらく市場はすでに反転しているのだろう。直感的には昨年9月25日頃が節目だった気がする。

中国のWTO加盟への過程で14年3月10日この欄で危惧を表明していたが、先般来のSARS騒ぎははからずもこの懸念が杞憂ではなかったことを明らかにした。しかし、当面のあらたな患者の発生が無くなったことで中国はWTOのテストの第1段階はともかくクリアーしたと言えるだろう。

このアーカイブについて

このページには、2003年7月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2003年6月です。

次のアーカイブは2003年9月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。