ニュースで携帯による出版物の盗写が話題にされていたが、先日の森山和道の日記でも違った角度から携帯電話の機動的な能力により革命が引き起こされているとの指摘があった。
オーウェルの1984年には少し間に合わなかったが、いまや映像の持つ強力な思考誘導力というか、視覚へ過度に傾斜した現在の文化の弊害というか、たしかに普通の人が意識せず、きわめて犯罪的なことを平気で行っている。そして誰もそれをおかしいと言わない。いや、言えない空気がある。
人類の感覚の中で、視覚が圧倒的優位にたったのはおそらく西洋で中世が終焉を迎えたころだろうが、この世界観を修正すべき時期がちかづいてきているのではないだろうか。他の五感に訴える道具の開発されることを切に期待する。
1984年といえば政府の個人監視がテーマだが、今まさに米国ではこの話題が深刻な段階になっている。そして、上記の森山説にもあるが、一方では自由なネットの存在は不健康な個人監視を許さなくなっていくのではないかという意見も希望的観測を込めて存在する。
NTTの規制緩和に関する国会での騒ぎは、時代錯誤以外のなにものでもない。NTT問題は雇用問題であって、営業政策の話ではない。設備の償却と更新、従業員の転籍ができないかなど経営の問題に政治家が利権の匂いを感じて動いたために話の焦点がぼやけたわけだ。結局尻すぼみでわけのわからないことになった。

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