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2009年4月29日 アーカイブ

2009年4月29日

豚インフルエンザがフェーズ4に格上げでマスコミの論調が一気に変わった。なにやらよくわからないが、たいへんな事態に進みつつあるというトーンだ。特にバラエティ番組では関心を一気に集めて視聴率を稼ごうとしているとしか思えない。煽っているような番組が多い。
つくづく正しい報道と正確な情報の伝達はむつかしいものだと思う。
これは言語や言葉に関する困難であると同時に、経済や感情の困難でもあるだろう。マスコミの責任は非常に重い。
現状は世界中の人的物的な交流を今まで以上に活発にしないと経済の破綻をきたすリスクが増大している。この一番大事な時にこういった問題が起こったということはある意味で非常に不幸なタイミングといえる。問題なく流通する人とモノの流れがフォーカスされ、問題を引き起こすかのような報道がなされるのはそれこそ大きな問題だ。
感染者には気の毒だが、社会の安全のため、一時的に隔離されるのはやむを得ない措置でもある。
要は正確な情報と正確で必要かつ十分な対応がなされるべきで、それ以上でも以下でも具合が悪い。特に反応の過剰はなにより避けるべき態度だろう。

なぜ豚なのか、ネーミングと事実の相違

スチーブン・ピンカー「思考する言語」には単語の意味についての深遠な議論がある。
名前(固有名)は固定指示子であるというクリプキの結論につづいて、別のカテゴリーである自然種の名前についてピンカーは次のような議論を展開している。
ある自然種(中世の錬金術師の言う金と現代の物理学者が言う金の定義はまったく違うが同じものに言及している)に関する人間の科学的理解が変わっても、その種を示す単語の意味が変わるわけではない。そうでなければ、異なる時代の科学者(または同時代でも異なる説を唱える科学者)が、互いの考え方の違いについて議論することはできない。つまり自然種名の意味は、名前の意味と同様、記述でも定義でもなく、世界に存在する何かを指し示す「ポインタ」なのだ。太古の昔に誰かが、ある物質や物体を指し示すために、親が子に命名するように、ある単語をそのものに与えたとき、それは意味を獲得する。そうしたのちに、人々が「これは金というものだ」などと言うことによって、その単語は次の世代へと受け継がれていくのだ。(中略)パトナムによれば、単語も財やサービスと同様、社会の分業の産物であり、私たちはすべての単語の意味を自分で区別するのではなく、多くの場合、専門家に肩代わりしてもらっているというのだ。(中巻242ページ)
豚の名前が変更された場合、もしくは日本の当局者のように新型とぼかして名前をつけていても、言及されている事実に相違はない。人口に膾炙された名前はそう簡単には変化しない。このネーミングに経済的被害を受ける人たちが多数存在し、表現を抹消しようとしても、パラドックスに陥るだけである。
「・・・・・・」という言葉を使わないようにしよう。という法律を作るためには、「・・・・・」を記述しなければならないのだから。

flower

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