なぜ豚なのか、ネーミングと事実の相違

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スチーブン・ピンカー「思考する言語」には単語の意味についての深遠な議論がある。
名前(固有名)は固定指示子であるというクリプキの結論につづいて、別のカテゴリーである自然種の名前についてピンカーは次のような議論を展開している。
ある自然種(中世の錬金術師の言う金と現代の物理学者が言う金の定義はまったく違うが同じものに言及している)に関する人間の科学的理解が変わっても、その種を示す単語の意味が変わるわけではない。そうでなければ、異なる時代の科学者(または同時代でも異なる説を唱える科学者)が、互いの考え方の違いについて議論することはできない。つまり自然種名の意味は、名前の意味と同様、記述でも定義でもなく、世界に存在する何かを指し示す「ポインタ」なのだ。太古の昔に誰かが、ある物質や物体を指し示すために、親が子に命名するように、ある単語をそのものに与えたとき、それは意味を獲得する。そうしたのちに、人々が「これは金というものだ」などと言うことによって、その単語は次の世代へと受け継がれていくのだ。(中略)パトナムによれば、単語も財やサービスと同様、社会の分業の産物であり、私たちはすべての単語の意味を自分で区別するのではなく、多くの場合、専門家に肩代わりしてもらっているというのだ。(中巻242ページ)
豚の名前が変更された場合、もしくは日本の当局者のように新型とぼかして名前をつけていても、言及されている事実に相違はない。人口に膾炙された名前はそう簡単には変化しない。このネーミングに経済的被害を受ける人たちが多数存在し、表現を抹消しようとしても、パラドックスに陥るだけである。
「・・・・・・」という言葉を使わないようにしよう。という法律を作るためには、「・・・・・」を記述しなければならないのだから。

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このページは、藤田ひかるが2009年4月29日 22:49に書いたブログ記事です。

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