行政の最近のブログ記事

高齢者

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110歳を超える高齢者の所在がわからないと国中で大騒ぎになっている。
外国から見ても官僚機構がしっかりしていると思われている日本で起こった事態として実に漫画的な報道がなされているようだ。
一部は親子の関係が希薄になっているから起こっているのだろうし、中には犯罪的に年金などを受給するために死亡した本人を放置したものもあるだろう。役所の一部の部署では認識しているのに肝心の本人がいないということが役所で統一的に把握されていないというのだから真にマンガだ。官僚機構というのはどうしてこのようなアホなことが起こりうるのだろう。理屈では起こりうるというのはわかるが、いくらなんでも常識ではありえないということがほんとうに、しかもあたりまえのように全国で起こっているというのが信じられない。個々の役人はこんなことではいけないと思っているはずだが、どうして起こるのか。真の原因はなんなのか。常識とは何なのか。

GMの破綻

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世界最大といわれた歴史あるGMの破綻がこれほど粛々と処理されるとは数ヶ月前想像もできなかった。米国内の社会的混乱を最小限に押さえ込んだオバマの手腕を市場は驚きをもって見ている。日本の事例とクライスラー処理がよい経験となって、ここへ収斂させることができたともいえるが、いずれにしても法的整備の進んだ米国でなければ不可能だったろう。
雇用調整を通じ、構造改革が進めば、米国は再び強く再生することができると国民も感じているに違いない。

予算の使い方

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本日の日本経済新聞のコラム「かがくCafe」に大久保公策が予算の使い方について批判している。
書いている趣旨は以下のようなものである。これまでさまざまな省庁がそれぞれつけた予算でヒトゲノム等の生命科学分野のDB(データベース)が250件ほどあるが、使えるデータベースがどこにあるのか、アクセスしたDBでどんな成果が得られるのかすぐ判定できない。結局、そのDB作りに直接関係した研究者だけが使い、管理予算がなくなると保守もされず、やがて所在不明になる例も出ているとのことである。各省もDBができれば事業は成功した(!)とみなし、一貫して整備する施策はない。データの所有権もあいまいだという指摘である。
これは、こういった研究開発にかかわらずすべての予算の使い方の欠陥ではないかという気がする。
無駄なことに税金を使って国民の批判を浴びるのは誰かがその結果を検証し、これはおかしいのではないかというまで制度として検証するというシステムになっていないわけだ。現実に現場で研究し、開発し、血のにじむような努力をしている者にとってみれば唖然とするような話だが、これがわが国の予算執行結果に対する検証制度の実態だ。国民にとって予算は使うことに意味があるのか?
大久保氏の指摘は米国のように国民を顧客と見る事業を行い、成果は等しく国民が利用できるようにするべきというものでこれが正論だと思う。税金を食いものにして行こうという人でない限り、普通の感覚であればそういった結論になるのではないか。
ギョーザ事件で官僚組織の動きの鈍さにあらためて気がつき、統一したコントロールをする部署を作ると政府が発表していたが、屋上屋を重ねる愚行としか見えない。今の縦割りそのものの弊害以外に考えられない。

専門家の社会的責任

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地震予知に関する専門家の意見はいずれも「現状のデータ集積と観測体制では困難」というもののようだ。それはそれとして専門家というものは全力を尽くしている訳だから誰も責めようなどとは思っていない。しかし、科学的議論と社会的要請がこれほど緊張感をもっている事案もそう多くない。
平成10年に当時文部省の諮問機関として測地学審議会が国の地震研究の方向を見直すべきとして出した中間報告ではじめて、専門家の側から予知は難しいと正面から認めた報告がなされた。
いわば専門家の集団が技術的に限界があると認めたわけだが、それでは防災や安全への対応は地震という災害について同じように打つ手はないのか、限界があると放棄されたのか、このあたりはあいまいなままである。文部省の管轄ではないという役所特有の縄張り感覚で専門家である学者の報告があればそれでよしとしたわけだ。もちろん、防災は文部省の管轄でないだろうということはわかっているが、それなら何のために諮問機関を設けたのか。社会的要請があったから大臣は諮問していたのであろうし、その社会的要請はその後消えたかといえば、むしろ強まっているとしか思えない。それまでに投じた予算はその後も広範囲の観測を継続していく礎になって現在まで多くのデータを蓄積してきた。この予算の消費を国民は無駄だとは言っていない。もどかしくはあっても、じっと成果の出るのを待っているというほうが多くの国民の実感に近いのではないか。ここ数年のGPSによるデータの蓄積によりプレートの動きが判明してきていることなど素人でも期待が膨らんできているのが現状だと思う。その後国土交通省へ予知の関心は移り、予知連絡会に対する注目が高くなったが、基本的構図は何も変わったとは思えない。
また、今回の19年中越沖地震で柏崎原発の想定慣性重力の3倍もの揺れが発電所を直撃したというニュースはおそらく技術者なら肝を冷やしたのではないか。専門家としてどのように社会的要請に応えていくのかという重い課題は、しかし何も原発の耐震設計の基準だけの問題ではなく、地域の地震予知、そして災害が訪れたときの対応も等しく重い課題であることは同様である。専門家の意見はこれら社会的に影響の大きいさまざまな問題に対する唯一のよりどころとなるものだろう。その社会的責任を意識した言動が求められており、マスコミの無責任なあおりの報道を厳しく指摘し、糾していくことも社会的責任のひとつといえるだろう。
たとえて言えば、医師の医療責任の問題と重なる。個人であれば、家族を含めて通常ならだれも医師の技量を疑わないし、信頼関係の中で最善を尽くしてくれているという思いがあればこそ患者も治療に専念できる。医師は人命にかかわるので逃げるわけにいかない。直接患者に患者の容態や治療法方について説明をするインフォームドコンセントは、今では社会的要請として双方とも了解し、地道に実施されている。
地震予知にかかわっている専門家は自信をもって発言するべきだし、領分を越えて一般の防災対策についても積極的に意見を言うべきだろう。誰もがどうしてよいのかわからないなかで、唯一頼りとしている専門家が社会の反応を恐れて口をつぐんでいるという事態こそ、社会的責任を放棄していると言われてもしかたがない状況ではないだろうか。
地震予知の困難さは誰もが認めている、データの判断を専門家に求めているわけではなく、自分たちが専門家としてこういう点に疑問をもち、こういう点にデータ抽出の重点を置いて観測を継続している。これらのデータから確実に言えることはないが、全体としてこのような状況となっている。判断を下すことは社会経済的な影響があるので直接できないが、この事実は知っておいて欲しいと発言するべきではないのか。そう思う。

中国大使は過去の日本の約束に言及したこれはまさに官僚が演出した紳士協定以外のなにものでもないが、この発言を見れば日本の首脳でこの約束を無視したのは橋本元首相だということになる。そうであれば、小泉首相がその協定の存在を引き継いでいないのは当然だ。しかし、一方で中国は紳士協定の存在につきおそらく会談の都度何回も念押ししただろうし、その事実を重く受けとめる必要があっただろう。過去の首脳の発言が否定されてしかるべきという考えは、公式にはまさに別の意味で歴史認識の問題といえる。そして安易に秘密裏に中国に約束することを了承した当時の首相が誰だか知らないが、その人物こそ今日の混乱を招いた責任者だ。鄧小平のように堂々と黒のものを白と言って正面から約束すればよかったといえる。そしてなにより日経社説が述べているように首相の靖国参拝は、少なくとも現時点では、中国はもちろんだが国際社会の支持も得ていない。ここは東アジア諸国が反発する刺激的な行動を控えるのが正しい判断だろう。外国の圧力にこれだけ弱いわが国がなぜこれだけ頑なな態度に終始するのか、日本の首脳の宗教行為もどきの行動で全世界が理解に苦しんでいる。中国では反日の動きが3月中旬から中国国内の三大ポータルサイトで発生しており、今になって取締りされるのは中国国民感情からも納得できない。単なるガス抜きでは済まないだろう。5月4日、8月15日の日本を世界は固唾を飲んで見守っている。

場当たり的な外交

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日本は四方八方と対立という韓国の記事を見てそのとおりだという気がする。これは日本に外交戦略と政治家が不在であることが原因だ。官僚のシナリオが言葉でそのまま外交交渉において飛び出すためだろう。平時から基本的なところをきちんとコントロールし、国の意思が鮮明であれば周囲の各国からこれだけ批判されることもないだろう。要はわかりにくいということに尽きる。だれにも納得のいく説明ができなければ批判されるのは当然だ。国内の議論が足りないことを痛感する。

ブッシュの一般教書

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ブッシュ大統領の一般教書。本日日経春秋の記事はよい例を引き合いに出した。この表現がぴったりだ。

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