市場感覚の最近のブログ記事

高齢者

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110歳を超える高齢者の所在がわからないと国中で大騒ぎになっている。
外国から見ても官僚機構がしっかりしていると思われている日本で起こった事態として実に漫画的な報道がなされているようだ。
一部は親子の関係が希薄になっているから起こっているのだろうし、中には犯罪的に年金などを受給するために死亡した本人を放置したものもあるだろう。役所の一部の部署では認識しているのに肝心の本人がいないということが役所で統一的に把握されていないというのだから真にマンガだ。官僚機構というのはどうしてこのようなアホなことが起こりうるのだろう。理屈では起こりうるというのはわかるが、いくらなんでも常識ではありえないということがほんとうに、しかもあたりまえのように全国で起こっているというのが信じられない。個々の役人はこんなことではいけないと思っているはずだが、どうして起こるのか。真の原因はなんなのか。常識とは何なのか。

専門家の社会的責任

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地震予知に関する専門家の意見はいずれも「現状のデータ集積と観測体制では困難」というもののようだ。それはそれとして専門家というものは全力を尽くしている訳だから誰も責めようなどとは思っていない。しかし、科学的議論と社会的要請がこれほど緊張感をもっている事案もそう多くない。
平成10年に当時文部省の諮問機関として測地学審議会が国の地震研究の方向を見直すべきとして出した中間報告ではじめて、専門家の側から予知は難しいと正面から認めた報告がなされた。
いわば専門家の集団が技術的に限界があると認めたわけだが、それでは防災や安全への対応は地震という災害について同じように打つ手はないのか、限界があると放棄されたのか、このあたりはあいまいなままである。文部省の管轄ではないという役所特有の縄張り感覚で専門家である学者の報告があればそれでよしとしたわけだ。もちろん、防災は文部省の管轄でないだろうということはわかっているが、それなら何のために諮問機関を設けたのか。社会的要請があったから大臣は諮問していたのであろうし、その社会的要請はその後消えたかといえば、むしろ強まっているとしか思えない。それまでに投じた予算はその後も広範囲の観測を継続していく礎になって現在まで多くのデータを蓄積してきた。この予算の消費を国民は無駄だとは言っていない。もどかしくはあっても、じっと成果の出るのを待っているというほうが多くの国民の実感に近いのではないか。ここ数年のGPSによるデータの蓄積によりプレートの動きが判明してきていることなど素人でも期待が膨らんできているのが現状だと思う。その後国土交通省へ予知の関心は移り、予知連絡会に対する注目が高くなったが、基本的構図は何も変わったとは思えない。
また、今回の19年中越沖地震で柏崎原発の想定慣性重力の3倍もの揺れが発電所を直撃したというニュースはおそらく技術者なら肝を冷やしたのではないか。専門家としてどのように社会的要請に応えていくのかという重い課題は、しかし何も原発の耐震設計の基準だけの問題ではなく、地域の地震予知、そして災害が訪れたときの対応も等しく重い課題であることは同様である。専門家の意見はこれら社会的に影響の大きいさまざまな問題に対する唯一のよりどころとなるものだろう。その社会的責任を意識した言動が求められており、マスコミの無責任なあおりの報道を厳しく指摘し、糾していくことも社会的責任のひとつといえるだろう。
たとえて言えば、医師の医療責任の問題と重なる。個人であれば、家族を含めて通常ならだれも医師の技量を疑わないし、信頼関係の中で最善を尽くしてくれているという思いがあればこそ患者も治療に専念できる。医師は人命にかかわるので逃げるわけにいかない。直接患者に患者の容態や治療法方について説明をするインフォームドコンセントは、今では社会的要請として双方とも了解し、地道に実施されている。
地震予知にかかわっている専門家は自信をもって発言するべきだし、領分を越えて一般の防災対策についても積極的に意見を言うべきだろう。誰もがどうしてよいのかわからないなかで、唯一頼りとしている専門家が社会の反応を恐れて口をつぐんでいるという事態こそ、社会的責任を放棄していると言われてもしかたがない状況ではないだろうか。
地震予知の困難さは誰もが認めている、データの判断を専門家に求めているわけではなく、自分たちが専門家としてこういう点に疑問をもち、こういう点にデータ抽出の重点を置いて観測を継続している。これらのデータから確実に言えることはないが、全体としてこのような状況となっている。判断を下すことは社会経済的な影響があるので直接できないが、この事実は知っておいて欲しいと発言するべきではないのか。そう思う。

業績予想の信頼性

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本日の日経新聞で業績予想が慎重で投資家にはわかりにくいという記事が載っている。業績予想が下方修正されると株価が過剰に反応し、これを恐れる経営は業績順調であっても業績予想を簡単には上方修正しないという傾向があるということが書かれている。直観的には、日本の経営者特有の現在の傾向だということだろうと判断される。こういったことが議論されるということは、結論から言うと業績予想も読みとけない未熟な投資家、アナリストが多いということなのではないか。経営者の人物像、流通しているサービスや製品、そして企業の置かれている環境を読み解き、発表された業績予想をこれらの発表されていないさまざまな情報に照らして投資判断をしていくのがアナリストの役割ではないだろうか。アナリストとプレス発表する経営方針のやりとりだけ睨んでいると投資判断は局部的にならざるをえない。発表されている言葉が企業のすべてを表現しているはずだし、そうあるべきだという報道関係者が感じている現場と世界の投資家の感覚とはすこしずれがあるという気がする。
笑ってしまったのは「貴社のコミットメント(必達目標)はそんなに軽いのか」と、ある繊維メーカーの業績発表の場で批判したアナリストがいたという記事だった。まさに企業が誠実に業績の下方修正を発表したその場でこのような発言が飛び出すこと自体大いなる勘違いとは言えまいか。投資家ははじめから企業に目標必達を求めているのではなく、経営者に目標必達する努力とその環境作りを求めているわけだ。投資家の顔にはおそらく二つの顔があり、長期的に投資を考えていればこのような発言は出ないだろう。短期的な欧米の投資が不十分な情報で大量の資金を移動しているからこそこのような発言に至ったと考えるべきなのかもしれない。ここにも情報の持つ価値の測れない側面がある。

日本の政治家の感覚

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日本の政治家が無反応なので韓国はいらだっている。どうして素直になれないのか。きちんと議論を公開し、是非を国民の前にあきらかにするべきだ。本日の報道によれば、韓国政府はわが国に態度表明を迫った。当然の行動だ。

ブッシュの演説

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ブッシュ政権の継続にあたり、就任演説を米国民が支持したという世論調査の結果が報道されている。「圧政の終結」という目標に困難だが妥当な目標だという反応だったようだ。これに関連して思い起こされるのは、9.11の直後、チョムスキーが述べた次のような言葉だ。
たしかに全国民が一致している感情がある。それは、もし犯人を見つけ出せるのなら、実行犯を捕らえ、処罰することを求める感情である。私の考えでは、おそらく大多数の人の気持ちは、相手かまわず打って出て、多くの無実の人々を殺戮することには反対である。ビンラディン自身、おそらく、グローバリゼーションや、文化的ヘゲモニー(覇権)のことなど聞いたこともないはずだ。ロバート・フィスクのように、彼に深層インタビューを行った人々は、彼が世界のことを事実上なにも知らないし、知ろうともしない、と報告している。われわれは、すべての事実を無視し、自分をいい気持ちにする勝手な幻想に耽ることもしようと思えばできる。だが、その場合、他の誰よりも、自分自身を相当危険にさらす選択であることを覚悟すべきである。
すなわち、彼の言わんとしているのは米国の人々、欧州の人々が圧政に苦しんでいると思っている人々のことを真に知らない。そして、主要メディアや知識階層一般が、危機に際して権力を支持して勢ぞろいし、大義のために一般大衆を動員するのはよくあることだという話だ。
もちろん、ここでブッシュが相手を特定して間違っているという意味でこれを書いたのではないが、危険性を知ったうえで、その銃口を向ける相手を間違わないようにして欲しいという気持ちに偽りはない。少なくとも、このたびのイラクの戦争のように、決めつけた行動で後日批判されることのないようにだけはしてほしいものである。

英国の民主主義

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英国の民主主義は健全だとあらためて実感する。米国の民主主義とはまた違ったおもむきがある。ブレアが補選で苦戦、レスターサウスでは敗北との報道。

視覚の優位

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ニュースで携帯による出版物の盗写が話題にされていたが、先日の森山和道の日記でも違った角度から携帯電話の機動的な能力により革命が引き起こされているとの指摘があった。

オーウェルの1984年には少し間に合わなかったが、いまや映像の持つ強力な思考誘導力というか、視覚へ過度に傾斜した現在の文化の弊害というか、たしかに普通の人が意識せず、きわめて犯罪的なことを平気で行っている。そして誰もそれをおかしいと言わない。いや、言えない空気がある。

人類の感覚の中で、視覚が圧倒的優位にたったのはおそらく西洋で中世が終焉を迎えたころだろうが、この世界観を修正すべき時期がちかづいてきているのではないだろうか。他の五感に訴える道具の開発されることを切に期待する。

1984年といえば政府の個人監視がテーマだが、今まさに米国ではこの話題が深刻な段階になっている。そして、上記の森山説にもあるが、一方では自由なネットの存在は不健康な個人監視を許さなくなっていくのではないかという意見も希望的観測を込めて存在する。

NTTの規制緩和に関する国会での騒ぎは、時代錯誤以外のなにものでもない。NTT問題は雇用問題であって、営業政策の話ではない。設備の償却と更新、従業員の転籍ができないかなど経営の問題に政治家が利権の匂いを感じて動いたために話の焦点がぼやけたわけだ。結局尻すぼみでわけのわからないことになった

社会的圧力

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コロンビア号空中分解。事故の原因は左翼のトラブルか、科学技術の限界。トラブルを許容範囲としたのは人間の判断だ。

事故は社会的圧力で起こるというが、米国社会の圧力、政治の圧力こそ、この事故の真の原因だ。

市場の方向

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市場のボラティリティが上昇している。今日は18年ぶりの株価安値ということで報道は悲観論一色だが現物売りで値を下げているのではないか。底が近いという気がする。

中前国際経済研究所代表の中前忠氏の10月4日付け日経コラム「十字路」が市場の方向を大事にしないといけないと述べているが、同感だ。中前氏は20年程前の中南米危機での説得力ある発言が今でも印象に残っている。当時目からうろこの落ちる思いをしたものだ。

米国の失敗

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今年2月12日16日にこの欄で書いていたが、米国も事態の重大さに気がつきつつあるようだ。米国は自ら選択して孤立化の道を選んだというより、世界中から拒否されつつあるという袋小路でもがいているといえるだろう。

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