信頼の最近のブログ記事

高齢者

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110歳を超える高齢者の所在がわからないと国中で大騒ぎになっている。
外国から見ても官僚機構がしっかりしていると思われている日本で起こった事態として実に漫画的な報道がなされているようだ。
一部は親子の関係が希薄になっているから起こっているのだろうし、中には犯罪的に年金などを受給するために死亡した本人を放置したものもあるだろう。役所の一部の部署では認識しているのに肝心の本人がいないということが役所で統一的に把握されていないというのだから真にマンガだ。官僚機構というのはどうしてこのようなアホなことが起こりうるのだろう。理屈では起こりうるというのはわかるが、いくらなんでも常識ではありえないということがほんとうに、しかもあたりまえのように全国で起こっているというのが信じられない。個々の役人はこんなことではいけないと思っているはずだが、どうして起こるのか。真の原因はなんなのか。常識とは何なのか。

GMの破綻

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世界最大といわれた歴史あるGMの破綻がこれほど粛々と処理されるとは数ヶ月前想像もできなかった。米国内の社会的混乱を最小限に押さえ込んだオバマの手腕を市場は驚きをもって見ている。日本の事例とクライスラー処理がよい経験となって、ここへ収斂させることができたともいえるが、いずれにしても法的整備の進んだ米国でなければ不可能だったろう。
雇用調整を通じ、構造改革が進めば、米国は再び強く再生することができると国民も感じているに違いない。

なぜ豚なのか、ネーミングと事実の相違

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スチーブン・ピンカー「思考する言語」には単語の意味についての深遠な議論がある。
名前(固有名)は固定指示子であるというクリプキの結論につづいて、別のカテゴリーである自然種の名前についてピンカーは次のような議論を展開している。
ある自然種(中世の錬金術師の言う金と現代の物理学者が言う金の定義はまったく違うが同じものに言及している)に関する人間の科学的理解が変わっても、その種を示す単語の意味が変わるわけではない。そうでなければ、異なる時代の科学者(または同時代でも異なる説を唱える科学者)が、互いの考え方の違いについて議論することはできない。つまり自然種名の意味は、名前の意味と同様、記述でも定義でもなく、世界に存在する何かを指し示す「ポインタ」なのだ。太古の昔に誰かが、ある物質や物体を指し示すために、親が子に命名するように、ある単語をそのものに与えたとき、それは意味を獲得する。そうしたのちに、人々が「これは金というものだ」などと言うことによって、その単語は次の世代へと受け継がれていくのだ。(中略)パトナムによれば、単語も財やサービスと同様、社会の分業の産物であり、私たちはすべての単語の意味を自分で区別するのではなく、多くの場合、専門家に肩代わりしてもらっているというのだ。(中巻242ページ)
豚の名前が変更された場合、もしくは日本の当局者のように新型とぼかして名前をつけていても、言及されている事実に相違はない。人口に膾炙された名前はそう簡単には変化しない。このネーミングに経済的被害を受ける人たちが多数存在し、表現を抹消しようとしても、パラドックスに陥るだけである。
「・・・・・・」という言葉を使わないようにしよう。という法律を作るためには、「・・・・・」を記述しなければならないのだから。

専門家の社会的責任

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地震予知に関する専門家の意見はいずれも「現状のデータ集積と観測体制では困難」というもののようだ。それはそれとして専門家というものは全力を尽くしている訳だから誰も責めようなどとは思っていない。しかし、科学的議論と社会的要請がこれほど緊張感をもっている事案もそう多くない。
平成10年に当時文部省の諮問機関として測地学審議会が国の地震研究の方向を見直すべきとして出した中間報告ではじめて、専門家の側から予知は難しいと正面から認めた報告がなされた。
いわば専門家の集団が技術的に限界があると認めたわけだが、それでは防災や安全への対応は地震という災害について同じように打つ手はないのか、限界があると放棄されたのか、このあたりはあいまいなままである。文部省の管轄ではないという役所特有の縄張り感覚で専門家である学者の報告があればそれでよしとしたわけだ。もちろん、防災は文部省の管轄でないだろうということはわかっているが、それなら何のために諮問機関を設けたのか。社会的要請があったから大臣は諮問していたのであろうし、その社会的要請はその後消えたかといえば、むしろ強まっているとしか思えない。それまでに投じた予算はその後も広範囲の観測を継続していく礎になって現在まで多くのデータを蓄積してきた。この予算の消費を国民は無駄だとは言っていない。もどかしくはあっても、じっと成果の出るのを待っているというほうが多くの国民の実感に近いのではないか。ここ数年のGPSによるデータの蓄積によりプレートの動きが判明してきていることなど素人でも期待が膨らんできているのが現状だと思う。その後国土交通省へ予知の関心は移り、予知連絡会に対する注目が高くなったが、基本的構図は何も変わったとは思えない。
また、今回の19年中越沖地震で柏崎原発の想定慣性重力の3倍もの揺れが発電所を直撃したというニュースはおそらく技術者なら肝を冷やしたのではないか。専門家としてどのように社会的要請に応えていくのかという重い課題は、しかし何も原発の耐震設計の基準だけの問題ではなく、地域の地震予知、そして災害が訪れたときの対応も等しく重い課題であることは同様である。専門家の意見はこれら社会的に影響の大きいさまざまな問題に対する唯一のよりどころとなるものだろう。その社会的責任を意識した言動が求められており、マスコミの無責任なあおりの報道を厳しく指摘し、糾していくことも社会的責任のひとつといえるだろう。
たとえて言えば、医師の医療責任の問題と重なる。個人であれば、家族を含めて通常ならだれも医師の技量を疑わないし、信頼関係の中で最善を尽くしてくれているという思いがあればこそ患者も治療に専念できる。医師は人命にかかわるので逃げるわけにいかない。直接患者に患者の容態や治療法方について説明をするインフォームドコンセントは、今では社会的要請として双方とも了解し、地道に実施されている。
地震予知にかかわっている専門家は自信をもって発言するべきだし、領分を越えて一般の防災対策についても積極的に意見を言うべきだろう。誰もがどうしてよいのかわからないなかで、唯一頼りとしている専門家が社会の反応を恐れて口をつぐんでいるという事態こそ、社会的責任を放棄していると言われてもしかたがない状況ではないだろうか。
地震予知の困難さは誰もが認めている、データの判断を専門家に求めているわけではなく、自分たちが専門家としてこういう点に疑問をもち、こういう点にデータ抽出の重点を置いて観測を継続している。これらのデータから確実に言えることはないが、全体としてこのような状況となっている。判断を下すことは社会経済的な影響があるので直接できないが、この事実は知っておいて欲しいと発言するべきではないのか。そう思う。

米国と英国

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7月21日に記述した米国に対する英国内の感情は行き着くところまでいくのだろうか。

親しい者ほどだまされたときの落胆は大きい。英国国民はきっとだまされたと思っているにちがいない。

わが国はだまされていないのか?だまされていても友好国は友好国でそれを飲み込もうということだろうし、政治決断の背景は民主主義の大義のもとでは枝葉末節だということなのだろう。

しかし今回のごとく「日本は敵対する国としてテロの標的にする」と明言されると、それを乗り越えてどこまで米国と運命を共にすることを決断できるのだろうか。自らの国力で解決できることの限界はどこにあるのか。これまでの中国、フランス、ドイツの発言とテロに巻き込まれたトルコの現状を見て政治のむつかしさをつくづく思う。米国の苦悩は株価にも表れている。

審査の公平性

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身内の審査はチェックが甘い。とくに生命に関するチェック機関は責任が重いといえる。これら生命倫理に関する委員人事は常識ある人選がどうすれば確保できるのか。こちらのほうが重い問題だ。

反米感情

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平成13年2月23日にこの欄で記載しているが米国のブッシュ政権は発足直後から危険な賭けを好む傾向がある。米国を嫌うアンケート結果の背景はやはり自ら蒔いた種だ。

お題目

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金融庁がアクセスサービスを開始。しかしこれで誰に何を訴えようというのかね。金融不安を解消するには金融庁のお題目ではなく、経済界の実践のみが薬になると思うのだが。経済界も金融界も他人事のようにしているから信用をなくしているという単純な事実を国民全員、世界の投資家全員がまず認め、自らの損を認めるべきだ。なんとか他人のふんどしで相撲をとりきり、損を免れようということでは世界が立ち直れない。

国境線

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日朝会談に対する欧州とアジアの反応は好意的だった。おそらく米国を除き(いや真の意味で米国も含め)国際社会はこの会談を待っていたといってもいいだろう。

一方国内は必ずしも好意的ではない。小泉政権の支持率が急上昇したもののマスコミの論調は極めて厳しいといえる。これには日本の国民性とか拉致遺族への感情的な思い以外に本質的なものが含まれている。韓国国内の事情とも共通する問題を含んでいる。

どの国も国境線を持っているが日本の大方の国民、特に戦後生まれの国民は島国で育っており、国境の持つ緊張感とはほとんど無縁でいた。日本の国内では唯一日本海側のいくつかの地域でのみ強く外国が意識されてきただけだとも言える。国境はもっぱら海上保安庁や自衛隊の監視網でのみ担保されていた。安全はよく言われるようにあたりまえとなっていた。拉致された国民が生命を落としたことに驚愕し、あらためてこの危険な隣国がなにをしでかすかわからないと思ったのだ。

しかし、きっと国際社会で互いに国境を接する各国の人たちはこの国境の持つ意味、主権の存在、生命を守っている法の存在を常に敏感に感じているにちがいない。諸外国にとってこのような生命の危険はあたりまえであって鈍感だったのは日本人だけだったとも言える。国際社会はそのような日本の置かれている立場がわかっているだけにおおいに賞賛し、今後の関係改善に期待するとエールを送っているのだ。

外務省は関係改善の好機で国際社会に寄与できるチャンスと考えた様子が見受けられるが、世界中で最も関係改善に慎重であるべき我が国がこうして関係改善に踏み切ったということが持つ意味は、国際社会での得点とはうらはらに後戻りできないリスクを自ら抱え込むこととなったことを示している。真の意味で主体的外交が必要になってきたからだ。

ソ連のペレストロイカにはじまった冷戦の終結で東西ドイツは統合したがその過程で経済の落差はいまだに修復が完了していない。朝鮮半島の統一がいつ実現するかわからないが、その経済的インパクトは大きい。元気の無い我が国経済が抱えるリスクは想像を絶するものがある。その意味で日米韓三国の協調をのみ考えるのではなく、中国の関与をもっと積極的に引き出す必要があるといえる。また、パレスチナになぞらえるつもりはないが、隣国国民との平時の平和共存のむつかしさは第三国にはわからない。当事者である双方の一層の努力が必要である。

すじみち

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こうなってくると農林水産省の官僚の仕事は仕事以前の問題だ。審議する以前の案自体が固まっていないうちに物事を進めてしまっている可能性がある。このようないいかげんなことをきっかけにして職を失い、責任を問われている人が多くいるということに暗澹たる気分にさせられる。官僚の責任を問うことこそ正義の手法だ。

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