自己言及性について

 

著者    二クラス・ルーマン

訳者    土方透  大澤善信

出版社   国文社

 

    この書物は1990年に書かれている。ルーマンの著作の中ではめずらしくコンパクトであるが内容は広範囲である。トートロジー、循環という問題に光を当てており、実践を重視した論調は興味深い。

 

以下印象的な部分を引用させてもらった。

    システムの複雑性は、情報の欠如の尺度である。それは、否定的冗長性(リダンダンシー)にとっての尺度であり、実際の観察により引き出された結論の不確実さにとっての尺度である。

    これは、すべての人にとって永遠の課題だ。分からないということの原因はどこにあるか、それでもなお、瞬間は決断を迫ってくるのだ。

 

    意味は、複雑性の代理表象である。意味は、意識や社会システムによって用いられる複雑性のイメージやモデルではなく、簡単に言って、強制された選択可能性という不可避な条件のもとで、複雑性を強力に処理する新たな形式である。

 

    これは、世界をどうするかの形式を言っている。意味、責任、判断の基準である。

 

    メディアと形式との区別はエントロピーとネゲントロピーとの区別と競合し、それにとって代わる。エントロピーとネゲントロピーの区別は芸術理論において通用している。しかしながらこの区別は転換の諸過程ではなくて、最終的状態あるいはその代替としての傾向を包含しうるだけだという問題に直面する。(それに対してプリゴジンの散逸構造理論は違った仕方で回答している)

 

    これらは、ヘーゲルを思い起こさせる。しかし、形式とは何だ。世界をどうするかの形式か?プリゴジンが提示したものはきわめて現実的だ。どのように現実の中で物事に対応していくかは、ルーマンの切実な課題であることがよくわかる。

 

    もしわれわれがメディアと形式との区別を付け加えるならば、そのときエントロピー(カオス)からネゲントロピー(秩序)へと導く次元は、秩序と無秩序をともにいっそう可能ならしめる増大の関係として考察されうる。

 

    そうだ、われわれはいっそう強くこの課題に立ち向かわなくてはならない。ルーマンの精神力に乾杯!