会計物語と時間

 

著者   青柳 文司

出版社  多賀出版

 

この書物は19987月出版されている。私は初版本を購入し、同年読んだ。

 

    この書物は壮大な構想を持って書かれた書物である。会計の書物というより思想書と言うほうがあたっているだろう。そして、私の日頃抱いている関心事の3割方は、この著者の関心事と重複する。その意味では非常に興味深く読んだし、頭の中が整理されたといえる。

 

    まず、記号としての時間について著者は記号と対象、記号と意味の両面性は相互関係が重要であると強調している。すなわち、時間は、言葉の意味と同様に人と人との関係にもとづく人と物との関係とみられる。意味論は記号とそれが指向する対象との関係を考えるが、その記号を使用する人はつねに他人との間の一定の関係に置かれた人である。人間関係が基礎になる二重の関係となるので、時間の意味論も語用論に立脚する。

    リクールがみたように、歴史が言語的に制作された物語であるならば、会計言語によって企業の歴史物語が制作され、この物語によって企業の歴史が創造される。それゆえ、制御の過程は物語的時間を物理的時間にまで遡及する。

 

    つぎに、場としての組織を構文論的にみれば、役割は「組織における一定の位置が持つ権限と特権および責任と義務の総和」と定義される。語用論的にみれば、役割を受け持つ人がとるべき行動、彼の人柄、思想、信念、人間関係のあり方などへの組織からの期待が役割を規定する。また、役割期待や権限と責任にもとづく組織成員の役割行動が生む所産は役割業績と呼ばれる。これが役割の意味論的側面である。

    組織はいわゆる情報システムを対象システムとするメタ情報システムである。これらを識別すれば、環境適応理論と呼ばれるコンティンジェンシーセオリーが、組織記号論とつながる。シービオクによれば、記号論の主要な課題は世界認識をいかに拡大させるかということにある。

    恣意性の高い会計言語でなく、エンジニアの合理性の高い能率言語で現場の状況をみれば、設備、技術の実質的な使用価値、保全ができる。技術の素養のない経営者は、財務尺度だけで企業を見ようとしがちである。技術尺度で企業を見れば、組織空間はまた違ったものに見えてくる。各言語の記号場に応じた空間が見えるよう、言語の種類と規約の選択を組織の情報場が行うのである。

    財務諸表の陳述は、それが陳述する会社の財政状態や経営成績が存在することに会計主体である経営者が責任を負わされる発語内行為である。つまり、経営責任の履行を説明する会計責任の陳述である。そのような義務や責任を負わせる制度が会計規約の背後にある社会規約として成り立っている。

    損益計算書が費用収益対応の合理性を目指せば配分思考になるが、それが所得配分表とみられて収益の費用と利益への分配の適正性を目指せば分配思考になる。どちらが会計本来の見方であろうか。会計物語論は後者の見方に立って構想される。

 

    会計表現は独特の文法表現によって成り立っている。貸借対照表は企業の財務状態を表示し、損益計算書は企業の経営成績を表示する。これは、財務諸表がその対象を字義どおりに表示するリクールのいう第1段の描写的言述の指示作用ではない。第1段の外示が中断されて、その字義どおりの指示作用から隠喩的言表によって展開される第2段の指示作用である。それゆえ、会計は簿記の擬制的な構造に立脚する隠喩的表現の壮大な体系といえよう。つまり、財務諸表の読者は会計情報を隠喩的表現の会計物語とみなければならない。

 

    財務会計基準審議会の財務会計概念に関する報告書は、歴史原価の属性として、資産を取得するために一定額の現金または現金同等物を支払ったという歴史的事実がその資産の属性とみているようである。また、現在原価の属性は同一または類似の資産を現時点で取得するとした場合、支払わなければならない現金または現金同等物の予想される対価とみているようである。これらの測定方法で歴史原価や現在原価を測定するのは同語反復のトートロジーである。

 

    物語行為の主たる任務は、終わりへと至る行為に場を設定することであり、その記述は始めと終わりが両端を成しているような変化についての説明である。著者は時間的全体について言及し、過去を時間的全体へ組織化することが歴史の特性であると述べている。

 

    著者によれば、言語の機能はビューラー以来の三分説が定説である。メルロポンティの用語法によれば、対象の表示、他人への呼びかけ、自我の表出である。それは、認知・指令・評価の情報の3機能とも符合する。ビューラーは最初の叙述機能を中心に考えたが、ポパーは論証機能を追加して4機能としたが、叙述機能は近代科学の記述主義的誤謬につながり、論証機能は検証可能性や反証可能性に通じて、科学と物語の境界設定の錯誤につながる。記述や言語は無益ではないが、それは物語論とそれを支える言語行為論の視点にたって見直される必要があるというのである。

 

    アメリカ公認会計士協会の委員会が1994年に「営業報告の包括モデル」(comprehensive model of business reporting)と題する報告書を発表し、その中でディスクロージャーの一環としてスワップやオプションなどの新金融商品の会計と開示が位置付けられている。どちらかといえば、それは財務諸表の枠外の開示に期待しているといえる。著者の見解によれば、会計の機能は意思決定のための情報提供と利害関係者間の利害裁定である。前者につきこのモデルが要求を満たしていることは認めるが、後者については経営者による資本配分の合理的な見方に対する信頼が前提であり、機能を生かしているとはいえないと批判的である。

 

    以上、結論へ至る部分には飛躍があり、私にはやや違和感が残る。しかし関心事が同一の路線を走った上でのものであり、著者が会計の役割を自らの理想に近づけようと、必死に読者の説得を目指した気持ちが伝わる力作であると感じた。