生態学的視覚論

 

著者     ジェームス  ジェイ  ギブソン

訳者     古崎 敬  古崎 愛子  辻 敬一郎  村瀬 旻

出版社    サイエンス社

 

この書物は、1985年4月に最初の翻訳が出版されている  原著初版は1979年

私の購入したのは1997年2月出版の初版第5刷

 

    私がギブソンを知ったのはおそらくほかの人とは違った経緯だと思う。ギブソンは心理学者として有名であり、またアフォーダンスに関する理論でわが国にもいろいろな形で紹介されているため、心理学、認識論の新しい考え方を提唱している人として捉えられていると思う。しかし、私の場合ギブソンはベイトソンの認識論、ヴァレラのオートポイエーシス論を読み進むうちに行きあったった。

    したがって、この本でギブソンが「感覚入力に基礎を置く知覚の説明はうまくいかない」との主張をしているところが私のギブソンへの入り口である。

 

    周囲のいろいろな人の書物でギブソンの先鋭的な主張をなんとなく感じているところに岩波科学ライブラリーで佐々木正人氏の「アフォーダンス新しい認知の理論」や現代思想1997年2月号「アフォーダンスの視座」に触れ、ギブソンを読む気になった。

 

    この書物でギブソンのいいたいことは、視覚において光束から不変項を抽出することが環境の知覚であり環境の中での自己の認識であるということであろう。彼はことごとくデカルト的な認識、古来受け継がれ、われわれが教えられた知識が事実と相違していると主張している。その話の背後には実体験にもとづいた判断が入っていて、なにを主張すべきか言葉の見当たらないもどかしさがよく伝わってくる。

 

    ギブソンの主張で最も感心したのは「個体は環境に定位する」という部分である。感覚を持つということではなく、検出する(detecting)という意味で、動物や人間は環境を感受する(sense)のだというのである。それは地形の鳥瞰図を持つというよりも、むしろあらゆる場所に同時にいるということであるというのだ。

 

    鳥瞰図を得ることは定位するようになるのに役立ち、したがって探索者はできるだけ高い場所から見下ろそうとする。しかし、見えない目標に対する定位とは見下ろすことではないし、地図を持つことでもない。ましてや紙の上でなくて心の中に存在すると想定される「認知的」地図でもない。地図はハイカーが道に迷ったときに役に立つ発明品であるが、発明品とその発明品が促す心理状態とを混同すべきではないというのである。

 

    このギブソンの主張はなんとなくベルグソンを思い起こさせる。時間の捕らえ方、流れを重視するところに限りない魅力がある。私にとって荒削りでわけのわからないところはあるが、ギブソンの考え方は非常に強力なものと映っている。