誰のためのデザイン?

 

著者      ドナルド A.ノーマン

訳者      野島 久雄

出版社     新曜社   認知科学選書

 

 

    単純なものに絵やラベルの説明が必要であるとしたら、そのデザインは失敗だ。というのがこの本のはじめの部分で強調されていることである。

 

    普通の人は、道具をうまく使えない場合、自分の使い方が悪いのだろうと考えてしまう。これは道具を使う場合以外で物事がうまくいかない場合に人々が取る行動となぜか逆になっている。道具以外で人はその原因と責任を周囲の事情や他人に求めたがる。ところがなぜか道具の使い方についてはデザインが悪いとなかなか思わないらしい。

 

    あることをする際の速度および結果の質とそれに必要な頭脳労働の間にはトレードオフがある。そのため、町の中で道を探したり、店や家の中でももののありかを探したり、複雑な機械を使ったりするときに、なにを学ぶ必要があるかは、このトレードオフによって決まることがある。外界から情報が得られることが確実ならば、行おうとすることの質を維持できる程度の正確さで記憶の中に情報がコード化されていればいい。人が自分の環境の中でちゃんと活動できるにもかかわらず、自分が何をしているかを言葉にして説明できない理由のひとつがこれである。

 

    手続き的な知識は文章にするのは難しく、不可能なこともある。また、それを教えるのは困難である。やって見せることによって教え、やってみることによって学ぶのがいちばんよい。非常に優れた教師でさえも、普通、自分がやっていることを言葉にして記述することはできない。手続き的な知識の多くは意識下に隠れている。

 

    これらは情報の経済と言えるだろう。生命はひとりでに最も効率のよい判断装置を作り上げているともいえる。

 

    選択肢の数を制限してくれる日常場面で存在する制約の例として、どの文化においてもある社会的状況で許容される行為の集合と言うものがあり、はじめていったレストランでもどう行動したらいいかわかるのはこのガイドラインによるということを述べている。これらは「状況を解釈し、行動を方向付けるための一般的なルールと情報を含んだ知識構造(スキーマ)」および特殊化された場面では「一連の行動を手引きしてくれる台本(スクリプト)」として表現され、また受け入れられる行動に関する「社会的制約(フレーム)」といわれている。

 

    つぎに意識的な行動と無意識的な行動につきつぎのようにも述べている。

 

    意識的な行動は遅く、また逐次的なものとなりやすい。意識的な処理には短期記憶がかかわっているようで、それゆえただちにアクセスできる量には制約がある。また、意識的な思考は短期記憶の容量の小ささにきわめて強く制限されている。ある瞬間に利用可能な項目の数はせいぜい全部で5個か6個である。意識的でない思考とても意識のひとつの道具であり、適切な構造が見つかったときのみこの記憶の限界を乗り越えることができる。いくつもの相互に無関連なものを全部あわせてひとつの構造にしてしまえば記憶するのは簡単になる。

 

    一方なぜミステークが生じるかというと現在の状況を過去に起こったことと誤って重ね合わせてしまうというマッチングの誤りが原因である。われわれは現在の状況と一致する例を過去から見つけだすのには本当に優れた能力を持っているのだけれども、そこで見つかる例は次の2つの歪みのいずれかを受けている。

 

    ひとつは過去を標準化する(プロトタイプ的な状況)方向への歪み。そして他からかけ離れた独特な方向への歪みである。

 

    微妙なものではあるが多くの事故の中で目立ってくるのが社会的圧力である。社会的圧力は一見デザインには何のかかわりもないように思えるが、普段の生活に強い影響を及ぼしている。工場などでも社会的圧力のせいで誤った解釈やミステーク、そして事故が起こることがある。

 

    したがって、デザイナーはユーザーがエラーをしていると考えるべきではないという教訓を得る。

 

    ただひとつのよい製品に固執したり、自然な進化がゆっくりと完成の域に達するのに満足しているような企業はほとんどない。そして「最新の改良型」モデルが消費者にとって大迷惑となる。デザインの世界に民間伝承のように伝わっているデザインのやり方はすべて失われてしまうのである。