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平成17127

   1970年にグレゴリーベイトソンがニューヨーク市都市計画のメンバーに読み上げた論文で、4年前に私が考えて記述したことと同じ表現がなされているのを見つけて思わず我が意を得たりという思いであった。以下そのくだり。

   理想として掲げた健康な文明システムというのは、高く張られたロープのうえで、巧みにバランスをとる軽業師にたとえられるかもしれない。軽業師は、ひとつの不安定な状態から次の不安定な状態へ動きつづけながら、もっとも基本的な命題「私は綱のうえに立っている」が真である状態を保っている。このとき、腕の位置や腕の動きの速度等の諸変数に非常に大きな柔軟性が与えられている。それらの変数値を自在に変化させながら、軽業師はより根本的で一般的なレベルでの安定を得ているわけだ。

   一方、より断片的で表面的なレベルの人間行動を法によって固定するのは容易である。ということはつまり、法律が蔓延してくるにつれて、綱渡りするわれわれの社会の「腕」の動きの自由がしだいに奪われていくということを意味するようである。綱から落ちる自由は野放しになったままで。

 

平成17110

   年頭にさしあたりやらなければならない個人的なことを考えてみると、身の回りの写真や手紙類、名簿や記録の整理が大半で要はリレーションの整理に尽きる。私という生命が尽きるときには意味のないものになるものが大半といえる。はたして生きている間にこのようなことをする必要があるのか?貴重な時間を使ってもっとすることがあるではないかという気になる。あたりまえの話として。

   これは、確実な死の期限がわからないということに起因している。簡単な話、医者にあと余命3ヶ月ですと宣告され、厳正な事実であることが確信できればそのときに同じ考えでいられるだろうか。死の期限をもっと現実のものとして受けとめれば、整理しなければ意識にのぼらないリレーションは二の次だろう。むしろ、重要な事柄は目の前の家族のリレーションに尽きることになる。それが普通の人間の感覚だ。

 

平成1712

   インドネシアの巨大地震の被害は津波により12万人を超えてきて、まだまだ増加している。WHOはさらに感染症の危険が迫っていると警告を発している。悲惨で気の毒な事態だ。わが国も5億ドルの無償援助を行うそうだが、なにより現地で必要としているのは食料と水、そして人的支援だろう。新潟中越地震という大地震を経験したばかりのわが国でも健康な生活のありがたみが身にしみる。ささやかだがわれわれが力になれる部分も多少はある。少なくとも米国のように裏づけの薄い無償援助よりは実質をともなっているだろう。

   過去に何度も津波の被害を受けている日本では、その恐ろしさを国中で共有しているといえるが、インド洋の周囲の国々はごく一部を除き、備えがなかったようだ。天災は忘れたころにやってくるとは寺田寅彦の言葉だが、国民の記憶として天災の被害の記憶が残されていなかったとしたら、なんともやりきれない。金の問題とはいえ、目の前の課題に囚われず、長期的な問題の解決に努力することが今後も各国に求められる。

 

平成161128

   郡司ペギオ幸夫「原生計算と存在論的観測」を読んでいる。ローヴェルの不動点定理、クリプキの信念のパズル、シュレディンガーの猫、クワスプラス問題と整理されている。郡司は状態の同定に関し、実在論もしくは記述説に依拠して発生する問題を一般化された観測問題と呼び、これを無視する理論を状態指向型理論、この問題を理論の中心に据えた理論を観測指向型理論と呼んだ。そして観測過程は、任意の不定な観測者、観測装置に関して構成されねばならないと指摘されている。

   郡司の冷静な着眼はおそらく多くの討論のなかから自ずと収斂し、実験を重ねて構想されたものだろう。実践の重みを愚直にたどり、精緻に展開していく技量に感嘆している。

 

平成161018

   5億円を超える強盗事件が当初2千万円の被害と報告されるということが起こった。信じられない話だ。5億円という金額でも各報道機関は小さい報道でなにか不自然さを感じる。大事件だと思うのだが。世の中で何が大事件で、どんなことが大事件でないのか。私の感覚も麻痺しているのかしらん。

 

平成16829

   鎖の強度はその一番弱いところで測られる。(A chain is only as strong as its weakest link)それは、日頃最も気にしていること、最も弱いところを攻撃されたとき、それに耐えうるかという意味でである。最も弱い鎖を強化することが大切だという格言になっている。私のこれまでのものごとに対する姿勢はこれを意識しすぎていなかったか、これでよかったか。

   最も弱いところを強化することではなく、強いところをさらに強くすることがスポーツにおいては結果として一流の選手を生んでいる。選手が一皮むけるのは、世界という舞台が選手を強化するからだ。オリンピックをみていて純粋にそう思う。

   オリンピックギリシャ大会がまもなく終わろうとしている。そしてオリンピックが国家のメンツの戦いではないことがこれほど明確にあきらかになった大会はこれまでなかったのではないか。すくなくとも日本人にとって。タイの副首相が顰蹙を買ったニュースはひとごとではない。国民栄誉賞を乱発したいという大臣の欲望も国民の意識とかけはなれてきている。

 

平成1658

   評論家でありつづけたい。という題でBLOGを一旦書いたが、とりやめてここに記載する。BLOGは反響があるからいやだ

   私のBLOGHOMEとも政治色、宗教色を排除するのが主義だ。少なくとも、これまで自分なりに(達成できているかどうかあやしいが)これを堅持してきた。しかし、こういろいろあるとどうしても自分の考えがにじみでてしまう。評論家でありつづけたいというこの願いはかなえられるのか。そもそもBLOGを公開していることと評論家でありつづけることとは両立するのか。悩んでいる。

   かつて学生運動が盛んだったころ私の発言に対し、親しい同級生のひとりから「おまえの発言は運動体とみなされるぞ」と言われたのを今でも鮮明におぼえている。言論は中立な評論家の存在をおそらく許さないという警句としてこの言葉はその後の私の人生のさまざまな局面でブレーキをかけつづけてきた。発言が慎重になり、結局何がいいたいのか周囲の人間にもよくわからないというジレンマが常にある。しかし、一旦決めたこの主義を変更しようとは考えていない。いってみれば一生卑怯者の烙印を背負っていこうと覚悟をしているといえばおおげさかな? 

 

平成16410

   近所の寺へ桜を見に行った。八重桜2本と里桜1本がきれいに咲いていたが、あとの桜は既に葉桜になっていた。今年はゆっくり花見をする暇もなかったということか。

   世の中は景気が回復してきたという声が次第に大きくなってきた。しかし、生活実感としてはまだまだだな。とくに私の周囲では失業した人が大量に発生し、暗い空気が充満している。私はこの1ヶ月知らない間に白髪がめっきり増えた。会う人ごとに言われるので改めて見てわかった。

   ひとりの人間ができることというのはほんとうに限られている。無力で非力な人間がこの世界を構成している。そして、その人間の行動の結果がまた世界を構成している。

 

平成16320

   今日は悲しい出来事があった。心の傷つくことほど悲しいことはない。

   最後まで張り裂けてしまえ春寒く

   巣立ち鳥傷つけるほどかじかんで

   剪定に我流の鋏おろかにも

 

平成16229

   昨年の年末からWEBLOGのおもしろさにはまっている。RSSの技術が生み出すさまざまな可能性がWEBLOGだけにとどまらず、関心事の集中化をもたらしてきている。わたしの関心事はいったいなににあるのだろう。カテゴリーの事後分析が私という人格を外部から規定していく気がする。目の前にある雑事に気をとられずにいかに一貫した方針を保ちつづけることができるか。

   そして、わたしのこのHOMEPAGEもいろいろな意味で転機を迎えつつあるのかもしれない。能力と金と暇があればPHPMYSQLでサーバーを運営していきたいという衝動にかられている。はたしてできるかな?獲得できる自由の大きさを想像して胸をふくらませている。子供みたいだな、全く。

 

平成16228

   イラン国営通信がビンラディン氏の拘束を報道

 

平成1627

   昨年暮れから、わずか2ヶ月くらいの間に日本国内はもとより世界中で安全保障に関する枠組みが大きく変化した実感がある。これは、ルールを意識的に破った米国の腕力の意思(というよりブッシュの意思というほうが正しいのかな)の結果といえるだろう。そして、一方従来の良識の源だったG7だが、一時のG7の位置付けに比べてやや小粒になったという印象が免れない。今のシナリオは大きな変化がないだろう。パキスタンの核技術流出の報道も、なにかこの時期に敢えてなされたという感じがぬぐえない。あとはビンラディン氏か。

   牛肉、鶏肉、豚肉ときて肉類は日本人の食生活から駆逐されるのか。不安が食卓を大きく変化させてきた。いろいろな意味でリスクの選択が生活の全ての面に大きな比重を占める時代になってきたといえるだろう。われわれの子供の時代にはさらに大きな変化が待ち受けていることだろうと思う。

 

平成1612

   「はてな」の近藤さんが日本人にはBLOGより日記という記事を書いている。昨年末1228日に私もWEBLOGをはじめたが、おもしろい。まったく別の世界だ。私は日本人ではないのか?一気に世界が広がった気がする。そして同時に、近藤さんが言うようにここは自宅という意識が確かに私にはある。これはどういうことなのかな。

 

平成151228

  *共同通信社の平成15年十大ニュース。

国 内

海 外

邦人外交官2人がイラクで殺害

米英のイラク戦争、フセイン元大統領を拘束

衆院選で民主党躍進、与党は絶対安定多数で二大政党時代へ

新型肺炎(SARS)が世界的流行、死者700人以上

長崎男児殺害など少年の重大事件相次ぐ

北朝鮮が核開発表明、日米中韓などで6カ国協議

有事関連法が成立

イラク統治評議会が発足したがテロ続発で復興混迷

イラク復興支援特措法が成立、自衛隊派遣へ

中国国家主席に胡錦濤氏選出、温家宝首相と胡温体制がスタート

りそな銀行に公的資金を投入、足利銀行は国有化

米スペースシャトル「コロンビア」が空中分解、乗員7人が死亡

阪神タイガースが18年ぶりリーグ優勝

イラク対応で米国と欧州に亀裂、反戦の波が世界覆う

自民党総裁に小泉首相が再選、中曽根、宮沢両元首相が引退

中国が初の有人宇宙船打ち上げ、宇宙大国の仲間入り

松井秀喜選手が大リーグ・ヤンキースで活躍

パレスチナ和平はテロと報復攻撃で足踏み

10

個人情報保護法が成立、住基ネットが本格稼働

10

ジャカルタなどで爆弾テロ続発、東京にも警告

 

平成151129

   世の中は企業収益が上向いて株価も上昇し、一見景気が回復しているかのように見える。しかし本当に景気はよくなっているのだろうか。イラクの問題でわが国の株価と為替は不安定だが、EUと中国は安定している。ユーロは徐々にユーロ高に向かっているので激変しないが、中国は最近では歯止めがなく過熱してきているとも言える。

   一方国内の不良債権の整理はいよいよ最後の絞込みの局面で、裏世界のあがきはあちこちで事件となって噴出しているようだ。とくに不動産に関する巨額の回収整理はこれからが本番とも言えるだろう。一応正常な経済との縁が断ち切られて二極化が鮮明になってきた。ざっくり言って経済の一割強は破綻と紙一重だろう。

   個人の世界でも持てるものと持たざるものとの貧富の差が歴然としてきた。消費者金融の隆盛がこれを如実に物語っている。消費者金融は目一杯利用するものと、利用してもほとんど形だけしか利用しないものとに二極化してきたからだ。これは個人の生活態度や人生観によるところが大きいが、少し先も考えずに借りまくる輩はいったいなにを考えているのだろう。暴力団の餌食になるのがわからず、餌食になったあと今度は自分が他人を道ずれにしようとする。迷惑な話だ。とくにわが国の将来を担うはずの職のない若者の現状が気になる。なんとか平常心を保ち、常識ある生活態度を身につけていって欲しいものだ。

   ところでまったく話は変わるが、詩、絵画も含めて文芸作品、芸術というものは鑑賞がすべてで、制作する、もしくは自ら作品を生み出すことに意味があるという考えはとんでもない勘違いだということに最近気がつき納得した。鑑賞の中でお互いに同じ状況にある事実が他人との間で響きあい、干渉しあってコミュニケーションが成立する。それは同時的体験でそのわずかな響きあいを求めて人は芸術を鑑賞しているのだ。そしてそのコミュニケーションをとる他人というのは作者というよりも他の鑑賞者という方が正しいということに気がついたということだ。すなわち、芸術に触れて感動する内容はおそらく同じであり、そこではじめて同じ場所を体験できる他人の存在を確かめることができるのだ。芸術は意図して作られるものではなく、おのずから生まれたもの、やむにやまれずできたものが感動を生み出す。そしてその流れを追体験できたものが芸術をともに鑑賞しうるのだ。

 

平成15119

   このPAGEの多くのリンクがNETSCAPEのブラウザでは正しく表示されない。どうもおかしいということに最近気が付いた。原因はMS製のドキュメントをそのままアップロードするからのようだ。

   見にくいSITEは私もイライラするから何とかしようと思っているが、どうも大量に修正しなければならないようで頭をいためている。どうすればいいんだろう。12109日、1527日に同じことで悩んでいる。HTMLを結局すべて点検しなければならないんだろうな。うーんまいった。

 

平成151025

   事件事故の多い昨今の状況に対応することは重要だろう。警察の強化ということが長い目で見て真の対応になるのかどうかは議論の分かれるところだろうが、ものの考え方そのものにやはり基本があるという指摘が的を射ている。これは教育の問題だろうし、世の中のシステムというか法も含めた制度の問題でもある。

 

平成151014

   TOPをリニューアルし、BLOGNEWSHEADLINEを同居。さらに見出しに日頃使っているSITELINKをそのまま貼り付けた。

   なんだかごちゃごちゃして落ち着かないが自分で使う分には便利になった。当初のPAGEのデザインから趣が変わって少し違和感があるが・・。ゆっくり、じっくりというコンセプトを大切にしつつ、譲れるところを譲って妥協した。どうだろう。

 

平成151012

   このホームページを作って3年が経過した。自分の世界が広がるかなと期待していたが、なかなか思うようには広がらないということがわかった。それよりも、自らの生活がいかに支離滅裂かということをあらためて思い知った。人生の折り返し点をすでに過ぎ、拡張ではなく整理縮小の重要性を感じている。ここが世の中の流れと一致していて、肝心なところだ。

   最近荒っぽい誘拐事件や殺人事件が毎日のように起こっている。外国人や暴力団と思われる手口だが、無職の男女が意味もなく犯罪を犯す事例も多い。不景気が金融の締め付けとあいまって自殺も後を絶たない。保険金を狙った事件も多くなった気がする。そして、一方では大きな工場の火災や爆発という事故も多い。基本に忠実で安全で信頼されていた日本のメーカーが技を持った職人を次々にリストラで退職させ、知恵を承継する者が絶えている現実が透けて見える。事件が多いことで地道な捜査で逮捕へいたる警察による安全神話が崩れつつある気がする。いまが正念場だ。

 

平成15924

   米国のブッシュ大統領の国連演説は世界の実質的指導者たるべき米国大統領の発言ではない。自らの正当性の主張と、テロリズムへの脅威を訴えて泥沼にある米国の政策への理解と協力を求めるものだ。このような主張を繰り返すブッシュ氏に対し、フランス、中国の指導者の落ち着きと冷静さがこの1年際立っていたといえるだろう。英国のブレア氏が国民の支持を失おうという勢いで、ただひとつわが日本だけがブッシュ氏を支持していくことは危険な選択だろう。米国は自らの主張を支持してくれるところにいい顔をしているだけであって、なにも日本の国のことを思って日本の事情を理解していると発言しているわけではない。

   このたびのG7がいい例で、米国の元切り上げ論に相乗りしようという日本の安易さが中国に見透かされ、かえって円高の圧力を市場で受けることとなってしまった。米国は自国のことしか考えていないことがはっきりしている。

 

平成15731

   わが生命の残り時間はどのように消費され、どのように過ぎてゆくのか。あらためて時間を実感する。

 

平成1576

   U.エーコの記号生産様式の類型論の中に次のくだりがある。(記号論・池上嘉彦訳)

   困難な対比関係にもとづく写像の過程は、容易な対比関係の場合に行われるものとそう違わない。このような写像は想定される対象の意義素による表記によって有契化されているということには疑いもないが、同時に写像操作についての取り決めによって支配されている。大きな問題が生じるのは(文化的に異常であるとか、形態的に複雑であるということで)まだ文化的に知られていない何かの特性を表現面の連続体に対して写像することはいかにして可能かということを規定しようと試みる際である。<中略>このような複合的な内容はひとつの単位ではなくて、ひとつの言説である。(そして音楽もひとつの記号ではなくて、ひとつのテクストである。)しかも、その内容は受信者には前もって知られているのではなく、受信者はいかなるタイプもまだ存在していない表現からはじめて内容の把握を試みる。<中略>絵画とは機能体によって措定されるのではなくて、機能体を措定するという不思議な現象であるとしか思えない。<中略>物理的に存在しているものが、不在のあるものを伝え、場合によっては、世界の状況に言及するのに用いられうるものである。

   絵画は既成のコードの残余を用いることによって新しいひとつのコードが提出されるという意味で、記号論的な現象が生み出される瞬間を表している。そのような事情であるから、変換にもさまざまな種類のものがある。・・第一は、合同ないし塑型。第二は、投影。第三は、グラフないしは位相的変換。・・<中略>かくして次のような結論に到達するのは避けがたいことになる。芸術作品というものは過剰に伝達する。ゆえに、それはなにも伝達しない。それは、あらゆる記号論的アプローチによっても究めつくせない魔力を有するものとして、ただ存在しているのである。

 

平成15529

   25日のドルーズがスピノザについてしている議論を、同様な観点からプリゴジンがしている。(複雑性の探究)

   付加された次元によって得られる自由度は、まったく新しい振る舞いを生み出す源泉となりうる。<中略>よい戦略を具体化しよう。ひとつの可能性は、プラトンの「国家篇」における洞窟の影の話に示唆されている。全体像の影に注目して、2次元像から全体像を再構築してみよう。プラトンはこれはたいへん難しい試みであると告白し、哲学によってのみ人間の精神がこれをほぼ達成できると主張した。現代的な言い方をすれば、ある対象物の射影はその対象物と一対一対応していない、ということである。対象物を完全に記述するためには、いろいろな面への射影が必要である。しかし、そうすると自動的に元の多次元空間に戻ってしまうことになる。このことを避けたかったのである。

   幸いなことに、もう一人の偉大な天才アンリ・ポアンカレによって示唆された第二の可能性がある。相軌道を横断する平面を考え、軌道が平面と交差する点Pnの列を調べる。長時間にわたってPnをひきつけるものに着目すれば、3次元相空間に埋め込まれたアトラクターを推察することができよう。なぜなら、実際、このアトラクターの切り口を任意にとりだせるから。

   すなわち、逐次交差点の位置を記述する離散的時間の動力学は、背後にある連続的な流れに関して多くの情報を与えるのだ。

 

平成15525

   穀物ブローカーであるブレイエンベルフが、スピノザにした質問「あるものが毒だということは経験をとおしてしか知ることができないが、だとすれば悪はたんにア・ポステリオリな結果から原因へとさかのぼる経験的所与にすぎないのだろうか。」  

   ドルーズによるスピノザ理解のポイントのひとつに、このブレイベンエルフからの手紙に答えていないことがある。

   ここには、より大きな完全性の欠如にも、完全性の異なる二つの状態の比較にも帰してしまうことのできないなにかがある。悲しみのうちには、否定でもなければ外在的なものでもない、なにかある還元されえないものがある。身をもって体験される、実在的移行である。持続である。これ以上還元されることのできない究極の「悪しきこと」を示すものがそこにはある。それが活動力能や変様能力の減少としての悲しみであり、不幸な人間の絶望のうちにも邪悪な人間の憎悪のうちにもひとしくこの悲しみは姿を現している。と。

   これは、まさにハイデガーの「言われなかったこと」、荘子の「残されて見ないところ」だろう。宇宙の背景放射のように、残余のなかに持続の行く末を見て、生命の持つ悪しきこと、悲しみの最終的逃げ場があると表現しているというか・・

 

平成15512

   4日の区別について、さらに気になることがある。ハイデガー「プラトンの真理論」にある「言われなかったこと」。これはあのヤスパースによって「ハイデガーはプラトンをまるで教説をもった人間のように扱っている」と言わしめた。空虚な議論といわれているそのこと。その伏線はパルメニデスの非覆蔵性の論考にも見られる。

   すなわち、「ある思索者の教説は、かれによって言われたことの中で言われなかったことなのである。この言われなかったことに対し、人間は身をさらしており、結局はその言われなかったことのためにみずから無駄骨を折っていることになるのである。」

   また、「ある思索者によって言われなかったことが、どのような種類のものであれ、それを私たちが経験し、今後知ってゆくことができるためには、私たちは彼によって言われたことを熟考しなければならない。」

   これに対し、ヤスパースはハイデガーに発送しなかった手紙の草稿の中で、「私がこれからあとに知ってゆけるようなこうした言われなかったことは、私が自分をそのために浪費したものではまさに断じてなく、むしろそれは、私がもしかしたらわたしの研究力を十全に広げたならば尽力できたかもしれないが、しかし私自身ではとうてい尽力できないような事柄だからです。したがって、その結果「真理の本質の規定における転換」ということも、たしかにあなたが正当の権限を持って企てられた並外れた問題ではありますけれども、しかし、あなたがその問題に対し、ここで与えていらっしゃる形態においては、私には歴史学的に信じられないものにとどまるのです。その場合私は、あなたが元来意欲していらっしゃる事柄を自分は多分判定できないのだということに、気づくわけです。」と述べている。

   ヤスパースはハイデガーを信じようとして手紙を出しつづけるが、翌年、国家公務員職の原状回復のための法律「管理機構の簡素化」(第6条)にもとづいて退職に追い込まれた。

   ニーチェとヘルダーリンを礼賛したハイデガーに対して、ヤスパースが感じた絶望と怖れを推察するには時代の気分が全く違うといわれるかもしれないが、誰もが不気味さを感じているのは現代も同じだろう。隔離されるものを知るために隔離されないものを熟考しろとは厳しい話だ。プラトンの洞窟。

 

平成1554

   米国の大義に世界が疑問を持ち始めた。多くのマスコミも米国と距離を置く各国首脳の発言を報道している。果たしてブッシュの決断は世界の支持を得られるのか。ブッシュの発言には異常な国家は存続を許さないという隔離の思想が背後にある。イラク政権は正常ではないというわけだ。

   同じような判断が国内でもなされている。白装束集団の移動を促す警察庁長官発言は国内の支持を得られるのか。異様であるという判断は隔離の思想だ。異形の思想、現代社会にとっての異教徒には不寛容な決断。

   SARSが異常な勢いで蔓延し、WHOの勧告が渡航自粛を促したために世界中で隔離が始まった。特に中国では深刻な事態で隔離せざるを得ないという状況に見える。病人は家族とともに隔離されるべきという判断だ。治療方法のわからない病気に対する恐怖が判断を正当化している。こうなると医師も一般人となんらかわらない。

   誰もが不気味な事件が起こっていると感じている。生命に対するいつくしみや他人への思いやりがない。自分のことしか考えられず、変化に対する免疫力がない。これら人類の持つ基本的な弱さはどうすれば克服できるのだろう。

   ヒントのひとつは報道されている不安にかられた子供の母親の発言にある。通学路がこんなに騒々しくては不安で子供を学校にやれない。出て行ってくれという発言だ。こどものためによかれという親の気持ちはもっともだが、無垢な子供はおそらくこれらすべての隔離を無にする自由を生来獲得している。よかれという判断は大人のもので子供は自由だ。

   一般の人は道に区別をたててそれを他人に示すのである。区別するということは「道について」見ないところを残している、というのである。(荘子「斉物論篇第二の六」)

 

平成15413

   生物が子孫に残すものは結局その生命以外になにもない。子供の命そのものがすべての遺産だ。生命以外のものは子孫に残されるようだが胡散霧消する。この真理を了解することは人類にとってなかなかむつかしいし、また感情的にも納得しがたい。継承されるものが生命であれば社会的資産は生命といえるか?雨に濡れた桜の花を見て自分の生命だけが親から残されたすべての遺産であることを強く意識した。

 

平成15410

   あまりにもさわやかな春さみしさに

   あまりにもさわやかすぎる春の風

   かなしみをいや増す春のさわやかさ

   あたらしき緑あふれてさわやかに

   今日は湿度も低く、おだやかで気持ちのよい春の陽射しだった。けやきの木は緑がいっせいに噴出し、木陰にいっそう春らしさを感じた。

 

平成15331

   期末の株価は予想どおり下がった。イラクの戦争の長期化を嫌気したと報じられたが、そういうことではないだろう。

   デフレだからこそ起こっている不思議なことは、採算ラインが下がっている現実だ。これまでとても採算が取れないと思われていた市場価格がいつのまにかコストを吸収し、高収益商品に化けている。赤字だからといって戦線を縮小していた企業はやぶれかぶれの市場荒らし(と思われていた)新参者にきっちりとシェアを奪われているのだ。こんなことがあっていいのか?

   したがって、金利が反転するまでは当局公認のワンサイドゲームが続行されている。真に恐ろしいのは当局の政策がどこで反転するか全く読めないところだ。

 

平成15326

   日本人のものの考え方に関する感情は日経の春秋でも同じらしい。317日に書いた事を同じトーンで春秋が書いている

 

平成15324

   一方でどれだけ精神的にタフだといわれていても、一方ではひとり傷つき癒しを求めている。しっかりとしたコミュニケーションがとれないもどかしさは、誰にも経験があるだろう。時間が解決することも多いが、その時間の経過が大変ながく感じられるのもゆとりのない場合だ。我慢することの大切さを思ってじっとすること。強いものは黙して語らず。

   青春時代の一幕で自分が弱い人間だと思い知ったが、その後自らを鍛え上げ、精神的な強さでは誰にも負けないところまできていると自負していた。しかしそんなものは真の強さか?肉体的に衰え、死を目前にしたときこそ強さが試される。余裕をもって冷静に死と対決しうる見識とやさしさ、ゆずることのできる感謝の念をどこまで持ちうるのか。孤独に死を迎える覚悟がないと強くなれたとはいえない。ひとりで葬り去ることのできるものを持つこと。

  

平成15318

   ひよどりの声に驚く霜の朝

   雨あがり芽吹く雑木に朝日透け

   暖かき春の気配のあしたかな

   寒梅のいっそう白くかがやけり

   寒梅のいっそう白いあしたかな

   母逝きてひだまりで見る形見かな

   風やみて遠吠えかなし春近く

   着膨れて静寂の車中法事あと

   畑にも霜に赤い陽影長く

   旅立ちの時を迎えて覚悟せり

   文明をうらむ季節の花粉かな

   春の日の定年前にお茶を飲む

 

平成15317

   悲しみをわかちあえる人がいるということは幸せだ。たとえ初対面でも相手のことを理解しようとする人は、悲しみに打ちひしがれた心に無限の力を与えてくれる。

   日本人の浪花節は欧米、とくに人種の坩堝である米国には理解が及ばないだろう。白か黒か決着しないとけりがつかないと思っている。イラクの問題は理屈ではないと思うのだが。正義は人間の数だけ存在するという厳粛な事実に目をそむけてはならないだろう。

 

平成15228

   花粉症は猛烈な勢いでその被害者を増やしている。私は幸いにもまだ被害者ではないが、近い将来仲間入りすることが十分予想される

   花粉症は、戦後日本の営林政策、伐採された雑木林のあとに杉のみを植林しつづけた政策のみじめな結果だ。生育した杉の見てくれと杉のみが商品価値をもつという偏った基準が、数十年を経て現在の日本の国民に被害をもたらすとは想像できなかったのだろう。知識のなさと生態系に対する思い上がりが人類の将来を暗示しているようだ。

   ヤンキースに入団した松井秀喜選手がオープン戦初戦でホームラン。プレッシャーの中でたいしたものだ。イチローと同様に活躍の予感がする。久しぶりの明るい話題だ。 

 

平成1527

   IEで正常に表示されるWHAT’S NEWNETSCAPEでは正常に表示されない。

   PAGEにはたどり着くが、そこから先に行けない。悩んでいる。 

 

平成1525

   曙のどこかあたりが春めいて

   立春の陽射し一層春めいて 

 

平成1521

   凍てついた窓の氷に母想う

   北風に梢のカラスがお見送り

   梢でもかあかあとなく霜の朝

   30日の朝は寒さが一段ときびしかった。窓に結露が凍りつき、初めて母のことを句にした。そしてその日昼過ぎに母の訃報を聞いた。

   母危篤冬空駆ける新幹線

   葬送の列を率いてさざんかは

   あたらしき命楽しむ精進上げ 

 

平成15123

   春暁の雲ひとつあり鳥の声

   春の日の陽射しまばゆい夜勤明け

   落ち葉掃く鳩群れており公園の

   めずらしき雪の景色に鳥はしゃぐ

   梅の花どんぐり飲み込む鳩一羽

   湯冷めして星一つ見る冬の空

 

平成15113

   今年はコンピュータを使いこなせる老人に育つことを目指そう。コンピュータの使いこなすべき機能は何だろうといっても定義がむつかしいが、我々機械の素人からすれば、インプットとアウトプットを通常の考えどおりにこなせることを言っている。むつかしい話ではないがこれがむつかしい。要は簡単なあたりまえのことをあたりまえのこととしてコンピュータで処理したい。還暦まであとわずかだがこれが今年の目標だ。若者には負けたくない。

   通信機器の発達やコンピュータの能力向上でコミュニケーションは取りやすくなっているが、使いこなせる人とそうでない人との落差が大きくなってきている気がする。携帯電話がよい例だ。特に老人や機械アレルギーのある人には疎外される要因となる。疎外という言葉の意味が再び大きくなってきていると言えるだろう。世界は分割されつつある。手と知恵の重要性が再び見直されるべきだろう。

 

平成141231

   今年はいろいろな意味で厳粛な気持ちで新年を迎える大晦日となった。今ちょうど除夜の鐘がひとつ聞こえたところだ。あとすこしで新年を迎える。祈りを込めて静かに新年を迎えよう。

 

平成141230

   共同通信社の2002年十大ニュースは次の10項目だった。

 

国内

国際

日朝首脳会談、拉致被害者5人帰国

イラクの大量破壊兵器疑惑で国連査察再開

日韓共催サッカーW杯

世界同時株安の様相、世界的IT不況

ノーベル賞初のダブル受賞

中国・瀋陽の日本総領事館に北朝鮮家族が駆け込み、亡命

牛肉偽装事件、食品不正表示も横行

中国共産党が胡錦濤総書記を選出

疑惑で田中真紀子氏ら4議員辞職

米が北朝鮮、イラク、イランを「悪の枢軸」と非難

鈴木宗男議員逮捕

バリ島で爆弾テロ、邦人ら約190人死亡

東電でトラブル隠し、原発停止広がる

北朝鮮が核開発継続を認めたと米政府発表

デフレ対策決定、株価最安値

欧州単一通貨ユーロの現金流通始まる

倒産相次ぐ、失業率5・5%で最悪水準

パレスチナで反イスラエル闘争長期化

10

住民基本台帳ネットワーク稼働

アフガニスタンでカルザイ大統領就任、新政権発足

番外

毒物カレー事件で林被告に死刑判決

 

   これらのニュースで特徴を感じるのは、情報の隠蔽、虚偽に対する国家、国民の反応の増大だ。米国の主張の根拠がよい例だ。そしてその背後には米国とイラク、北朝鮮との対立がある。しかも米国はかつての圧倒的支持を失い、徐々に嫌われつつある。武力、経済力に替わり公正さや自由が世界のノルムとして浮上してきているといえる。その基準の力の背景に情報の公開とインターネットの存在を感じる。国家の機密とは何か、公開しなければならない規準は何か、原子力発電が核開発につながるという理由はなにか、要は政権に対する信頼の問題に帰着し、米国の主張にある根拠の論点は信頼できない政権だからということになる。

   米国は両国の政権打倒に向け今年本気で取り組むということを年初から宣言し、かつ実行してきたと言えるだろう。国際社会の同意や協力の有無を見定めずにとにかく突っ走ってきた1年だった。背後に同時多発テロ事件があったとはいえ、その意味を米国民と他国民は同様に理解し同意を与えていると米国が思っているのだろうか。

   今日のNHKでジョンレノンのImagineに関する番組(あなたのアンコール・ミュージックカクテル)をやっていた。この番組で一貫して流れていたテーマが「どうせできないんだから」から「できるように想像しなさい(Imagine)」というジョンのメッセージだ。十大ニュースを読んでいて改めて意志と行動の意味を考え直した。ひとりひとりにとっても同じことが言える

 

平成141225

   不思議に思うことがある。戦前はともかく、戦後の日本国内において株式投資、商品取引等の市場取引で大儲けして財を成した人はいたのだろうか。戦後の経済的成功者は株式で儲けたといっても自ら起業して本業で儲け、株式価値を高めたうえで売却などして儲けた人しか思い浮かばない。株式売買で儲けた人などいるのだろうか。戦前の一代で財を成した財閥の面影は戦後の成功者に見られない。要するに日本の国は建前は別として戦後資本主義国家ではなかったと言えるのではないか。

   一方海外、米国ではいまだに借金を重ねて一儲けを企てる山師が市場をうろうろしている。これだけ不景気になってもどこかにチャンスがあるから市場が機能しているのだろう。チャンスの目は法律の抜け穴か、そうではなくて企業家の輩出だろう。米国の市場は事後的にチェックされている信頼感がみなぎっている。そういう公正さに対する安心感が投資を思い切ってさせる土壌になっているにちがいない。

 

平成141223

   デフレが国際的に浸透してくると労働力の移動が焦点に浮上してくる。とにかくこれだけモノの値段が安くなってくるとサービスに対する値段も安くなり、給与も安くならざるをえない。年金も例外にはなりえない。

   ゲーテの「色彩論」を読み始めたがその認識論のギブソンとの親近性を感じる。古くて新しいテーマなのだろう。彼が心理学に興味を持っていたとは思えないが。

   同様にヴァレラの「身体化された心」にもギブソンとの親近性を感じる。彼自身は三昧と言っているが。いずれにしても西欧近代精神の否定に違いない。

 

平成141219

   図書館に対する地域社会の期待は読みたい書物がいつでも借りることのできる図書館であり、現在も変わっていない。しかし、図書館自体はこの数年大きくその役割が変化し、書物をモノとして保管し一般個人に貸し出すという機能からモノとしての情報に加えモノ以外の情報も含めた包括的な情報の検索とその情報の提供へと重心の移動が見られる。そしてそのためにはグローバルな図書館同士の協力と情報の相互開放、持てる資源の公開が責務となってきた。したがって図書館が相手にしているユーザーとは全世界に存在する情報を必要としている人たちであり必ずしも地域社会のニーズとは一致しない。そしてその図書館の設立母体は例外なく地域の性格を帯びている。この運営母体とユーザーの利害の対立がいよいよ顕在化してきている。

   世界の情報を必要としている地域には政治的に孤立している地域があり、そこに生活している個人が情報を必要としている。図書館の役割はマスメディアとオーバーラップする部分も含み、また別の側面では対立する部分を含んでいる。

   出版と図書館は著作権の問題であきらかに対立している。無償で利用できる図書館の理念は著作権で保護された作者の権利を否定するものだ。今後図書館が電子的製作物、ソフトウエアを設置していけばますますこの対立は先鋭化していくだろう。公共の利害はどのように調整されていくのだろうか。

 

平成141214

   山折哲雄のアジアと日本の文化交流に関する仮説がおもしろい。法隆寺の玉虫厨子に描かれたサッタ太子の捨身飼虎図はガンダーラにその源があり、狩猟民族の食物連鎖に人間が入った思想の影響がみられるというもの。また、宮沢賢治の「なめとこ山の熊」や柳田国男の遠野物語にみられる狩猟民族との接点に我が国の別のポイントもあることを教えられた。 

 

平成14115

   おおフランスよ!汝は<形式>の国だ、ロシアが<感情>の国であるように。それゆえにフランス人は、その胸の中にどんな焔が燃えているのも感じられないことが絶えず不満であって、ドストエフスキーの国を羨望と憧憬をこめて眺めるのだが、その国ではひとびとは他のひとびとに友愛に満ちた唇を差し出しながらその一方では抱擁を拒む者は誰であれ喉をかき切ってやろうとしている。それにまた、たとえ彼らが喉をかき切っても、ただちにそれを許さなければならない。なぜならば、彼らは傷つけられた愛にかられて行動したのであるし、それに愛は愛するものを無罪にすると、ベッツイーナがわれわれに教えてくれたからである。

   これはミランクンデラの「不滅」の一節だが愛に対する考え方のヒントがある。愛は愛を愛する人(ここではゲーテに対するベッツイーナ)にとって形式でなく感情だという問題だ。ロシアとフランスはこの点で対極にあるらしい。

 

平成141024日  

   この2週間はなぜか多忙な日々だった。読書量も少なく、恒例にしている新聞のバックナンバーの記事熟読もできなかった。この間世の中はさまざまな出来事で荒れ模様であるといってもよい状態だ。いったいどうなるのか。

   米国、中国、ロシア、パレスチナ、イラク、北朝鮮、インド、インドネシア、フィリピン、アフガニスタン、チェチェン、アイルランド、パキスタン、クルド、イラン、アンゴラ、ペルー、いずれも目が離せない。

 

平成14106

   HOMEPAGEを開設して2年を経過した。この間よくわからないまま記述量だけ増加してきたが、技術的にはほとんど進化していない。まあ中身を充実しなければ意味が無いのでこのやり方しかないとは思うけど。当初の意気込みとは違った姿で2年目を迎える羽目になってさびしい。

 

平成14101

   日本国内では食品の偽装表示が問題となって騒がしいが、英国ではトイレットペーパーで350万円を勝ち取ったと。いつもながら欧米人のユーモアセンスに脱帽だ。

 

平成14927

   930日は日本のインターネット10周年のようだ。日本で最初のインターネットWEBページができてまだ10年しか経過していない。驚きだ。

 

平成14922

   真理は非覆蔵性と覆蔵性の境界にある。パルメニデスが求めている真実。日朝会談と拉致問題に関する外務省。BSEに関する農林水産省。原子力発電所に関する通産、保安院。同時多発テロ問題、パレスチナ問題に関する米国政府と米国内世論。いずれも自らが正しいと信じ、これ以上どのような選択肢があるのかと居直っているところに共通点がある。

   世間の常識が求めているのは、真実の生成していく過程にある。判断がなされたあとの言明は死滅し、その判断の是非につき異議を唱える人が無力感を持つだけだ。判断の現場こそ公開される必要がある。そして、現代の混乱を助長しているのは真実と無縁のところでマスコミがおこなう情緒に訴えた大衆への煽り行為だ

   日朝会談で両首脳の交換した宣言文書に盛り込まれていないことは口頭で交換されたことであり交渉の結果としては軽い。日本が交渉再開の前提として通告していたことは満たされており、新たな事実を盛り込んでこそ交渉といえる。官僚が準備した文書以外にこの新しい事実の存在に首相自ら敏感に反応して交渉していくべきだったというのが世間の求めていることだろう。相手のあることでそこまで気が回らなかったというのは歴史的会談に臨んだ当事者として弁解できない。

 

平成14918

   心臓のペースメーカー細胞は拍動を制御する。心臓の拍動が停止せず、脳死となれば死か。

   今日死刑執行2名。

   日朝会談で拉致された8人が死亡と。生命の重みは国家、法、戦争、テロの意味を改めて考えさせる。死亡した本人たちはさぞ無念であったろう。遺族がお国のために死んだという表現をしたときに為政者の責任の重さを誰しも感じたと思う。いずれの国も戦時が非情な結末をもたらすことを肝に銘じ、平時の付き合いを目指すことで真剣に向かい合うべきだ。さまざまな障害があろうがこれしか方法はない。戦争と平和でトルストイの言いたかったこと。残酷で非情な戦争の現実もそのひとつにちがいない。

 

平成14916

   人質にされた9歳の子供が殺害された。いたましい。それにしても残虐な話が多すぎる。

 

平成14915

   NHKで米国の近隣監視団の報道を見た。イスラム系移民の受けている監視、迫害の実態について自由を標榜している米国人はどのように見ているのだろうか。自由と個人の情報、太平洋戦争当時の日本の監視体制を思わせる。司法当局が大統領の方針にしたがい警察にそういった通報をおこなうよう奨励し、実際多くの人が身柄を拘束されている。自由とは名ばかりになりつつある。人権不在と中国を名指しする米国の国内でこのような状況となっているのは矛盾そのものだ。テロのもたらす矛盾。この矛盾は止揚できるか。

 

平成14912

   もうすぐHOMEPAGE開設2周年だがあらためて初心に返る必要があると感じた。そもそもこのPAGEを作るには日頃の考えをまとめ、これまでの読書をふり返る目的があった。それがいつのまにか日々の出来事に流され、感想の羅列に陥っている。

 

平成14817

   今日の日経大機小機に日本の刑罰が軽すぎると書かれている。一連の官僚による犯罪が訓告や戒告、減給程度で済まされ、特に公務員法の刑罰の軽さが際立っている。これだけおかしなことが続けば、誰でもおかしいと気がついてくるものだ。エンロン問題により明らかになった問題への米国の反応の速さについての感想も同じ感覚のようだ。

   現在の法制審議会の構成を見ると公務員法の問題点を洗い出そうという動きはまったく見られない。米国が自らを民主主義の理想郷であるからまったく正しいと正当化しているのを真似しているのでもないだろうが日本の公務員は自らが正しいという前提でものごとを考えている。司法制度改革審議会の最終討論の中で出席した各委員の感想を読んでいると、実に多様な意見が世の中にはあるということが改めて実感される。刑罰ひとつをとっても専門家や官僚以外の外部の素人、知識人でない一般の人の感覚と如何に懸け離れた議論があるかということを官僚は肝に銘じるべきだ。

   米国の国内の雰囲気は米国以外の国々の現状と明らかに違う。広島、長崎市長の原爆記念日の発言にあったように現在の政権が米国の世論を代表しているともいえるのだろう。いや、逆に政権が世論を誘導しているともいえる。テロ対決姿勢から始まったイラク、イラン、北朝鮮に対する対決姿勢が核の正当化に直結している。

 

平成14815

   日本ハムの問題は一昨日のニュースステーションで農林水産省の問題だと述べられており、世の中の人はちゃんと見ていると感じたが、今日思わぬ展開が明らかになった。弁護士のアドバイスがこのような事態の背景にあったということだ。しかしこのような重大な決断をするのに市場を知らない一介の弁護士の助言で行なうものだろうか。経営を一体なんと考えているのか。重大な判断の忌避、決断する必要のある肝心のときに思考が停止し、自ら考えていなかったとしか言いようがない。もしそのようなことで決断したのなら経営者失格だ。

   このような根本的で致命的な判断の誤りをしたのは、弁護士という仕事の役割と利用する目的を勘違いしたとしか思えない。弁護士は経営の羅針盤でもなければ困ったときにすがりつく駆け込み寺でもない。法を犯しさえしなければ正しくて、正しければ人々が支持すると考えているとすれば根本的に間違っている。

 

平成14810

   日本ハムの問題は会社ぐるみで隠蔽していたことがたしかに非難されるべきではあるが、雪印やこれまで制度悪用により打撃を受けた各社の場合とはまた違った意味合いがある。

   おそらくインターネットでの内部告発に端を発した今回の事件は、業界が検査忌避した会社を放置したという構図で問題が噴出した。そしてこれまで一連の経緯にもかかわらず無風でやってきて、利益を享受したトップ企業に対する同業の妬みにより会社が引き摺り下ろされたという感が強い。特に各流通業者がはじめのうちは割り切って製品撤去に踏み切っていないのに「消費者の苦情電話が厳しくて撤去せざるをえない」とコメントしているところにそういった業界事情が垣間見える。農林水産省にもおそらく行政指導するべきだとの圧力が消費者の名をかたって殺到していることだろう。

   業界の多くの企業でこのような問題が出てきているのは今年128日の時事問題の記事で私が指摘しているようにはじめから予想されている。真の悪人は農林水産省の担当者とその方針を決めさせた議員だ。そしてその背後の真の問題は、どのような些細な問題であれ問題の解決が自らできず、お上に補助金をねだり困ったことがあったらなんとかせよと役所を詰問するわが国国民の未熟さにある。

   一般の消費者特に家庭の主婦は、会社がペナルティを受けるのは当然と考えていても、毎日の食事でおかずをどうするか、安全でおいしいおかずを安く買えればよいのにと思っているはずだ。

   ハイデガーのパルメニデスの記載に真実とは非覆蔵性の記載がある。イタリア中世の魔術者カルダーノのオカルトは「隠された、秘められた」ことだそうだ。マルクスの商品には関係の記述がある。気がつく、気にとめるという行為の中には関係に気がつく、存在を認識する、意味を了解するというさまざまな局面があるが、真実は行為にこそ在り、そのきっかけとなった事実にはない気がする。どうだろうか。

 

平成1486

   土壌汚染対策法は土地の所有者を責任者として汚染の除去の措置、費用の負担を求める。これは新たな問題を作るだけで真の問題は先送りされる懸念が強い。これまでの官庁主導で大企業にまず遵守させて成功事例を作ろうという考え方そのものに無理がある。環境問題こそ外部不経済の典型だからだ。秩序を内部に作っても境界では秩序に激しく抵抗する勢力があり、大部分の自由な判断をする者は環境問題に総論賛成各論無視となる。外部では皆汚染物質を山の中へ不法投棄し、ペロリと舌を出すのが目に見えている。これが官僚の作る法律の典型だ。法の骨格は事後摘発型にし、厳罰を用意しなければ意味がない。費用は違反者から高額の懲罰的反則金を徴収するのがよい。

 

平成1484

   痛みを和らげる薬は誕生するか。オーストラリアで巻貝から毒素の効果を示す実験結果。モルヒネにかわる薬であれば画期的な話だ。

 

平成14724

   タイガーウッズの全英制覇はならなかった。3日目の悪天候で彼は自然との戦いに忍耐力を失っていた。ラフに入れる自分のショットに腹を立てていたのだろう。今回の戦いでまた一層成長することを期待したい。

   今日東証日経平均株価1万円割れ。結局米国の株式市場の後追いだ。不正会計問題の何たるかが国内の市場で認識されているとは思えないが株式市場は結局市場そのものであって、その判断は最も正しい。

   インターネットの時代になって、世の中の正誤の基準、正義を求める圧力の厳しさが一層力を増してきたように思う。日経の春秋にも書かれていたが、オーウェルの1984年は違った展開の局面を迎えている。2ちゃんねるに代表される匿名の不満、言葉の暴力、個人を陥れるデマ、これらは自由に名を借りた暴力と分かっていてもこれらのカオスの存在が秩序を成立させているのもまたまぎれもない事実だ。望ましい姿であるかどうかというあるべき論以前にこの事実の重みをもっとかみしめなければならない。これらインターネットの世界はなんとなく今の中国の歩んでいる道を髣髴とさせる。この数の圧力が正義となっていく過程にまぎれもなく存在する。

   「境界の発生」を読了後、柳田国男の考えていた学、民俗学の困難な細い道を思った。民俗学を志す人はそう多くはないが、赤坂憲雄のようにのめりこむ性格でないとその道程の長さに怖気づく。それにしても柳田はかくも多くのことに関心をもち、かくも多くのヒントを後世に残したかと改めて感銘を受けている。

 

平成14717

   今日うたた寝から覚めたときになんとなく感じた夜明け前の明るさが今でも鮮明に体感として残っている。

   体感は動物としての明るさを感じる感触と、精神的なものも含めて自らの生活実感からにじみ出たものだったのだろう。今日の日経新聞をじっくりと読んでいてなおさらそう思う。プライベートな面でも心配事が解決すると体まで楽になるものだ。

   川口外務大臣が示した人事構想を小泉総理が支持し、これまで抵抗していた官僚が一転して受け入れに転じたこと。その決定に今でも不満なのが若手官僚であること。そしてODAの新しい検討が別の利害でなされようとしていること。これまで微動だにしなかった大きな岩が一瞬ではあるが浮いた。その瞬間を見た気がする。あの土光敏夫が構想した国鉄分割民営化の最終人事で当時の中曽根総理が最後の瞬間に打ち出した方針の威力に感嘆したが、今回もこれが改革の一歩だと感じた人が多いのではないか。落ち始めた小泉内閣の支持率の回復が第二ラウンドの暑い夏を迎えて正念場だ。今日経済財政諮問会議意見書提出。

   米国は不正会計問題で揺れているが傍から見ているとやはり健全だ。健全でないことを素早く発見し、自らをこれだけ徹底的に律することのできる国家のシステムがすばらしい。マクロファージがそこらじゅうにうようよいるんだ。

 

平成1478

   日経新聞は盛んに書いているがどうも日本の経済界、政界ではエンロン問題がどれほど重大か認識していないようだ。日経新聞と株式市場だけが反応している。いや日経新聞と為替相場だけが反応している。

   自由経済の根幹。信頼の根拠。ペナルティの在りかた。開示の原則。情報の存在。情報の保有者。

   個人情報とプライバシー。個人への経済制裁と敗者復活戦。人権と公共性。多数決と少数意見。

   マスコミの権力と倫理。市場情報とデマ。情報操作。暗号と著作権。

 

平成1477

   ユーゴの紛争でもそうだったし、パレスチナでも同じだ。アフガニスタンでパシュテュン人副大統領を暗殺。多数派の利権を代表するものは狙われる。報道では麻薬の影を書いているものもあるが、あるいはCIAのような組織の犯行か?国家は無意味になりつつある。

   ワールドカップの熱気が通り過ぎて従来の空気が戻ってきたが明らかにプロ野球の雰囲気は違う。何が違うのかよく説明できないがサッカーにはむき出しの闘争があるとでも言えようか。様式化が不十分な、より本能に近いスポーツだと言えばよいのか。

   インターネットの便利さは誰の目にも明らかだ。そしてこれがなにをもたらすか、歴史の証言者は誰になるのか。澤井繁男「魔術と錬金術」を見ていると「知」の再構築が如何に困難な道かが再認識される。ウンベルト・エーコの求めているのもこの「知」であり、ミラン・クンデラが追っているのもこの「知」だと言える。この「知」をはき違えて的外れな動きをする者が如何に多いか。そして逆説的だがこの「知」はこうした無法な場に生まれてくる。中世の都市空間のように。「楽天」とはよい名前をつけたものだ。  

 

平成14624

   最近の読書 今田高俊「リアリティの捉え方」

   今読もうとしている本 有斐閣双書「破産法概説」赤坂憲雄「境界の発生」根路銘国昭「驚異のウイルス」河本英夫・佐藤康邦「感覚(世界の境界線)」新田義弘「世界と生命(媒体性の現象学へ)」G・ベイトソン「精神の生態学」

 

平成14618

   タイガーウッズが全米連覇。真にヒーローといえる。特に野次や嫌がらせに動じない精神力はすばらしい。

 

平成14616

   インターネットの意義は関係の明示にある。インターネットにより世界を実感できる。しかし、これが世界か。世界は別のところにあるのではないか。彼岸の思想の根底には常に現実生活とのすり合わせの結果が反映される。

   ホームページの行き着くところLINK集となる。いやインターネットの行き着くところLINK集となる。これが関係の明示だ。内容の詳細は他人のコンテンツの解説、批評、引用。ひとつひとつの言葉が人類すべての財産であり、歴史だ。映像は人類が自然や人間世界とどのようにかかわるかその切り口を明示する。関係の明示はすぐれて視覚に優位性を認めているが、近頃は音声にもインターネット上の関係表現を求めるようになってきた。生命体とのアナロジーはやはり捨てがたい。これは生気論か、唯物論か。

 

平成1469

   最近の読書 田中克彦「スターリン言語学精読」エドワードSリード「魂から心へ」吉田一彦「CIAを創った男ウイリアムドノバン」デイヴィッドシールズ編「イチローUSA語録」

   今読もうとしている本 厚東洋輔「社会認識と想像力」ミランクンデラ「不滅」

 

平成14430

   エンロンの問題はどのように考えていくべきなのだろうか。まず素直に、情報のない、わけのわからない状態であったという事実からスタートしなければならないだろう。全体を知っていたのはおそらくごく少数の人間だけだからだ。全世界が真実から隔離されていた。情報の隔離はどのようにして発生し、また可能となっていたか。

   情報を隠蔽しようという意識が経営陣にあったか。これも重要な点だろう。意識的か無意識か。意識的であれば無論犯罪だが、経営の裁量の範囲という都合のよい言い訳が通用する程度であったかがまず問われねばならない。企業機密は経営判断の基準にはなく、企業資源にある。会計の方針は開示され、正しく説明されるべきものだ。経営の裁量は情報をもっている者の特権ではなく、かつ利権でもない。経営の裁量が政治的に利用されれば危うい。

   次に最近一部の人たちの間で注目され始めている信頼の問題がある。情報の開示とは関係なく、頼まれもしないのに一方的に経営陣を信頼していたグループがある。投資家や仕入先、そしてわけもわからずに経営陣を囃し立てたマスコミ。信頼は判断を途中で放棄した結果であり、事実の網の目を解きほぐそうとしなかった横着な人間のたどりついたみじめな結末だ。なにを根拠に信頼が成立したのか。だれもがほぞをかんでいる。これも背景には情報の隔離の問題がある。  

 

平成14428

   エンロンの問題はさらに拡大している。米国の矛盾そのものと言えるだろう。実質利益という決算の表示の問題、アナリストの問題、会計事務所との監査独立性確保の問題。さらに他社にもみられる買収の会計処理の問題、モルガンなど金融機関への開示の問題。さらに内部では経営に対する牽制の問題。株主に対する経営責任。従業員に対する経営責任の問題。税務に対する信頼失墜の問題。

   ゴールデンウィークで人出はそこそこあるようだ。景気も回復していく気配が感じられる。天候のよいのがこの時期は救いだ。失業率も関西を除けば回復基調にあるのかな。

   矢吹晋「文化大革命」講談社現代新書(1989年第1刷)2001年2月第14刷を読んだ。中国のWTO加盟を受けて文化大革命の評価をこの時期に再度するべきと考える。現在の中国首脳の根拠はなにか。そして米国はなにを考えているか。  

 

平成14416

   タイガーウッズが段違いの力を見せつけた。マスターズ連覇。精神力と冷静さにあらためて彼のすばらしい才能を感じた。

   それにしても同じターガーで国内の阪神タイガースのこの強さはいったいどういうことなのか。

   監督が優れているからなのか、これまでの地道な選手育成が開花したからなのか、選手の気分が単に昂揚しているから集中力が発揮されるのか、人間のすることはこれだからわからない。

 

平成14322

   エンロンの問題は米国の抱えている理想と現実のギャップとも言えるのではないか。

   会計事務所への信頼が一気に崩れたこと。コンサルタントと監査を同一の事務所が行っていたことへの不信

   経営者の金銭モラル。政治とのかかわり。

 

平成1436

   HOOPSへ引越したとたんアクセス数がやたらに増えているが、なにかおかしい。カウンターの数字がまったく増えないのにアクセスだけ増えるなんてことがあるのだろうか。よくわからん。

   たった2日で300もアクセスが増えるなんて異常だ。1年半で2,700件しかいかなかったのになにか間違っている。だれかが意識的に操作しているのではないか?気味の悪い話だ。

 

平成1433

   GOOで作成していた無料HOMEPAGE3月いっぱいでサービス提供終了だと。仕方がないので今日は1日かけて引越の準備をした。無料ということはあくまで無料で文句をいえる筋合いではない。

   あたらしいHOOPSの住み心地はどのようなものかわからないが、とりあえず複製を作っておく事にした。

 

平成14227

   エンロンの問題は理念の上滑りした企業トップに共通の問題だという日経の解説

   そうだろうか。私の理解は理念の上滑りでなく、問題の所在はルールにある。誰も理解できずチェックできないようなルールで物事を処理していけばリスク管理ができないのは当然だ。複雑性の縮減に失敗しているのだから。

 

平成14225

   エンロン経営者は昨年ストックオプションを行使して百数十億円相当の個人の利益を挙げ、一方で従業員は自社株で積み立てた401K企業年金が会社によって株の売却が認められていなかったために無価値になったと日経コラム「あすへの話題」で坂本吉弘が書いている。市場経済の名のもとにこのようなことが許されるのか。もし合法的というなら、法制度そのものに問題があるという指摘だ。同感。

 

平成14219

   エンロンの破綻は時間が経つにつれ想像以上の影響を米国にもたらし始めている

   まず、最先端の資金運用の神話が崩れたこと。デリバティブは管理されなければ単なるスペキュレーションだ。単純なこの事実を経営陣、株主、アナリスト、監査法人、金融当局がすべて見落としていたこと。その背景には政治とメディアによる神話の世界が巧妙に仕組まれている。取締役会がこれだけ無力だったことは日本の制度を笑っている米国にして信じられないことだろう。しかしこれが現実だ。米国には驕りがある。

   会計基準で世界中のノルムを時価会計にシフトするという米国の思惑は、成功の象徴としてのエンロンを失うことによりエンジンの推進力を失って失速しかねない。クルーグマンも今までの偶像の地位をひきずりおろされたと言ってよい。彼の発言の説得力は経済の実績があって初めてその力が認められていたのだから。これも一種の政治力だ。学問の世界も経済の世界も声の大きいものが米国の中でも幅を利かせていた。高崎山のボスザルの世界と一緒だ。

   そして、マスコミが今叩いているのはブッシュ政権とのつながりだ。私の感覚では現政権とのつながりが強ければ破綻しない。見当違いの報道であると言うのが予想である。人々はマスコミの報道の方を信じるだろうが。

 

平成14211

   昨日、NHKのアフリカ特集を見ていてはじめて知ったこと。あの同時多発テロ事件の直前、ダーバン会議でアメリカ(および旧宗主国)がアフリカ諸国の要求を呑まなかった。それは奴隷制度を利用していた旧植民地支配を自ら否定できないという矛盾の対応だったというのだ。

   日本と韓国・中国等アジア諸国の間にある戦後処理問題と同じ構図だ。

   これは民族自決、民主主義を標榜するEU・米国・そして日本にとって重要な問いかけだ。人権外交という見せかけの正義でなく、生存権を正面から見据えた富の再配分の問いかけなのだから。マルクス主義以来の大きなうねりといえるだろう。

   世界に存在するエイズをはじめとする深刻な病気と貧困。その背後には富を持つわずかな人口と大多数の飢えた人口の隔離の実態がある。これが現代の奴隷制度でなくてなんだろう。

 

平成1417

   昨年9月からカウンターがこわれていると思っていたが、アップグレードしたブラウザの設定が書き換わっていたのに気がついた。なんだこんなことだったのか。

   正月にプレスリーのCDをシリーズで聞いていて感じたこと。古典的で基本に忠実なおとなしい歌い方だ。ビートルズの曲を髣髴とさせるくだりがいくつもある。いろいろな意味で現代の音楽のベースにはプレスリーがあると思う。

 

平成1411

   2002年はどのような年になるだろう。

   昨年の秋からサラリーマン世帯の消費が上昇傾向にある。金利と為替はデフレの終焉を予感させる。今年はやっと景気が上向くのだろうか。金があれば投資していきたいところだ。

   安全はしかしそれにしても高価になった。リスクと言う言葉がどちらかと言えば積極的な立ち向かうべきものを感じさせてきたが、いまや世界の直面しているのはペリルに近い。どうやってすり抜けていくべきか。そのわずかな可能性を常に追い求めざるをえなくなっている。

 

平成131211

   最近の読書。少しピッチが落ちた。港 千尋「記憶」、竹田 茂夫「信用と信頼の経済学」、加藤 朗「現代戦争論」、ベンノ・ミュラーヒル「LACオペロン」、岡部 篤行「空間情報科学の挑戦」

   法とはなんだろう。国家権力の行使は法の裏付けに必要だが、法には国家が必要なのか?国家は法に先んじてアプリオリに存在しているのか。近代国家の概念とは別に、常識・道徳律・理性などとの相違はあるといえる。そうして考えると、米国の人権外交と中国の反発の背景は非常に根深い。単に旧来の体制の相違、イデオロギーの相違、先進国と途上国などのカテゴリーでは理解できない。中国にとってWTO加盟は痛し痒しだ。加盟しなければ国内の国民は納得しないし、海外の信用も得られない。しかし、これまでのように甘い汁をいつまでも享受しつづけることはできなくなる。元の切り上げも時間の問題だろう。

   この不景気に電力消費が個人世帯で伸びていると。ほんとは景気がよいのではないか。途上国の感覚では日本はやはり金持ちだ。

   小泉政権の支持率が再度上昇した。首相の気迫に賭けているということか。だれもがこの劇場に期待して固唾を飲んで見ている。

   円安が徐々に浸透してきた。いよいよ金利も上昇し、本格的景気回復の序章と言えるのかな?輸出指標が改善するかじっくりと見極めたい。年末から年始には、さらに大型倒産が続くだろうが、株価へのダメージはもうほとんど出尽くしたのではないか。資本の流れが加速するのはどのあたりからだろうか。

 

平成13122

   昨日と今日と、はじめてチャットをした。これがインターネットかとあらためて思った。

   世界が近く感じられ、距離感がなくなる。インターネットトポロジー空間だ。

 

平成131027

   918日頃からホームページのカウンターが壊れている。どうもアップグレードしたブラウザーに原因があるようだ。ウイルス対策のソフトが原因かな?訪問者の人数が2でとまってしまった。そのうちメーカーが修正してくれるだろうが困ったことだ。

   読書のスピードとホームページの更新とがアンバランスでどうもいかん。この間ディクソンの「言語の興亡」高野孟「最新世界地図の読み方」ハイデガー「パルメニデス」を読み、今ハイエク「感覚秩序」を読んでいる。

   いろいろと思うことが多すぎて、とても書ききれない。ハイデガーもハイエクもそしてギブソンもゲーテもみんないいところまで行っている。ベイトソンもルーマンもヴァレラも近づいている。それなのにこのたったひとつのことをどうして表現できないのだろう。

 

平成131013

   ホームページを設けて1年を経過した。この間になにか進展はあったのか。1年前は世の中がITに夢を描いてさまざまな可能性を信じていた。しかし、今その膨らんだ夢はどう受け止められているのだろう。景気の悪化とともにこんなにも人々の考え方があっさりと方向転換するのを見ているとやりきれない。とくに政治家の露骨な発言、それも景気刺激を求める発言が神経を逆なでする。利害を超越してほしいとは言わないが、多くの人々の「我慢と忍耐」のひそかな決意の前で騒ぎすぎだ。誰しもこのような時代には人に迷惑をかけず、じっと次の飛躍のチャンスに備えようとしているものだ。破綻や利権の崩壊があらたな秩序の序章であることを肝に銘じておきたい。過去は清算されなければ新しい芽が出てこない。

   同時多発テロは本当にいろいろなことを白日の下にさらけ出した。パレスチナ問題の大きさを世界が思い知った。そして人権とはなにか、少数民族問題とはなにかという古くて新しい問題が、思いもよらぬ形で多様性を求めるこれまでの世界の大きな流れに棹差したと言えるだろう。「テロにのみ対抗する」と言うことは言葉の本来の意味から言って矛盾する。この困難にどのように対処できるのか。米国は結局自国の正当防衛という考え方から国連にその役割を委ねようと方向転換し始めた。

 

平成13925

   はたして戦争か?

   仮にミサイルや戦闘機で爆撃や部分的コンバットがあっても、戦争になるのか?

   誰と誰が戦うのか。国家と個人か?国家と組織か?国家と国家か?

   ビンラディン氏は「十字軍」という表現を用いたりして宗教と宗教という位置づけのようだが。これはどういうことなのか。

   神と神の争いなのか、理性と理性の争いなのか、正義と正義の争いなのか。

   トートロジーのパラドックスはここにもある。同じものは同じものであり、違うものは違うものである。同じものは違うものではないし、違うものも同じものではない。同じものが違うものであろうとしても同じものでしかありえないから違うものになろうとしても同じものにしかなりえない。違うものも同じものであろうとしても違うものでしかありえないから同じものになろうとしても違うものにしかなりえない。自分こそが正義と同じものであると主張し、正義であろうとしても正義と違うものでしかありえないから正義と同じものになりえない。正義が一義的に定義可能であるとすれば、真理はひとつだが、そういうわけにはいかない。あたりまえだとおもうがどこかがおかしいのだろうか。

 

平成13921

   渡辺保史「情報デザイン入門」を読んだ。私の関心ごとと重なり合う部分が多いと感じたが、なにかが違う。どこが違うのだろう。著者は関係を志向している。おそらく私は違うのだろう。特に最後のところで無理を感じた。

   インターネットを利用しながら関係を志向していないといえば嘘になる。しかし志向していない。著者もおそらく本質的には志向していないのだろうと勝手に思っている。まだ若い人だから元気が言葉にあふれており、それがこのように感じさせるかもしれない。新しいうねりを実感できる書物だ。

 

平成13914

   11日は米国にとって歴史的な不幸な日となった。全世界が見守る中で悲劇が起こったのだ。

   悲劇が起こったとき、ついブッシュ大統領のこれまでの反発を招く強硬な政策の数々が頭に浮かんだ。しかし、今回のテロは冷静に考えればこの半年やそこらで準備されたものではないはずだ。米国が主張するとおり自由世界に対する挑戦、民主主義に対する戦争行為という表現があたっているのだろう。周到に準備されたテロだ。

   今日はマイカルの民事再生法申請があり、市場が反発した。市場の待っていた大型倒産のひとつが見えた。株主・従業員・取引先には同情を禁じえないが、積年の経営者の失敗がこんにちの事態を招いたのだ。厳しいがこれが自由世界のルールだ。テロと違い、命まではとらない。再出発をめざす法制度も存在する。われわれは恵まれた環境とさまざまな保護のもとにいることを先人に感謝しなければならない。

 

平成13911

   株式市場が世界的に下げ止まらない。日経株価10,000円割れ、NY市場10,000ドル割れでさらに弾みがつくことだろう。8,000円台までいって反転するのかな?

   いまだ大型の倒産が出ず、材料出尽くし感のないことが悪循環をもたらしている。戦後かつてない公的部門の実質的見直しが行われようとしているのだから、教科書の全面的見直しを全国民が迫られているわけだ。国内の投資家はこの50年間の経験と教訓で基準を定め、投資方針を決めているが、基準となる背景自体が変化してしまうのだからあらゆるチャートは無意味になる。

    民間部門で大型倒産が発生し、公的部門の改革がスケジューリングされれば株式市場は一気に活性化するだろう。このような変化の時代には一般大衆が見てないようでもしっかりと情勢を把握しており、世の中の気分が自然と投資へと向かってくる。このきっかけに正しく市場が反応し、景気先行指標としての本来の機能を果たすには政治家がいらぬ口出しをせず、やるべきことだけしていればよいといえる。いままさに夜明け前といえる。

 

平成13819

   先日の日経新聞経済教室で団塊の世代の気分に関する記述があった。学生運動を知っている世代の気分として「現在にいたるサラリーマン生活は仮の姿」という思いがあるそうな。そう言われてみるとたしかに私の生活態度は腰が定まっていない。社会的な立場や付き合い、日ごろのやり取りとこのPAGEの内容とはあまりにもかけはなれている。本名で作成していてこう思うのだから仮面のPAGEを公開している人は自分が二重人格なのではないかと思うだろう。いつまでも夢を追いつづけているそうだ。

   国策に沿って定年を迎えた団塊の世代に対し、いままでは仮の姿だからこれから自由にあと10年は働けと鼓舞するには若いころを思い出させるのが手っ取り早いが、この話に素直に反応するには皆年をとり過ぎているのではないか。そういえばテレビなどでも同じようなトーンの番組で思い当たるものがいくつかあった。要は競争世界を思い出させるパターンだ。

   裏返せばそれだけ団塊の世代は問題児で、国の生産活動に寄与しなければ存在価値が極端に下落するという市場原理だ。

 

平成13817

   無料でホームページスペースを貸してくれるところが増えている。MY HOME PAGEで関連PAGEを作り、リンクを作成。(GooICQ)しかし容量が不足しているならともかく私にはまだ贅沢だ。内容が作成できないのだから。おそらく画像情報、動画などを駆使する利用者がこうしてNETを利用していくのだろう。

 

平成13731

   米国から発せられたワーム「CODE RED」は早くも日本国内で被害を起こしているようだ。悪質なウイルスをばらまく者は犯罪者そのものだ。このような輩が根絶されるのはいつの日だろう。NET利用者の免疫力が高められなければならない。

 

平成13726

   人間の可能な年齢はどの程度だろう。100歳を大きく超えた年齢が可能な気がする。仮に医学の力で寿命が延びたとして、部品を取り替えた人間はしかし同一の人格をキープしているといえるのだろうか。

   人間に限らず食物を摂取して消化し、アミノ酸を我が物にしていく生物はどんどんその実態を変化させている。個体としてはいっときも同一性を保っていないといえる。これも人間の場合同一の人格を保っているといえるのか。普通こういうのは同一の人格というわけだ。それならはじめの人間も同一の人間といえる?

   時間の観念はまさにこのようなことを言うのだろう。同一性と差異のひとつのポイントだ。

 

平成13722

   タイガーウッズは全英でも苦戦している。あの無敵のタイガーはどこへいったのか。集中力を削ぐなにものかに散漫にさせられているとしか思えない。

   ところで巨人の清原の復活はみごとだ。あの年齢で、ふたたび鍛えなおしたことがすばらしい。

 

平成1378

   田中克彦「チョムスキー」を読んだ。田中自身のあとがきに述べられ、解説者の西垣通が述べている「ユダヤ精神における普遍への憧憬」にインパクトを受けた。これはたしかにチョムスキー以外にもいえるのかもしれない。

   今はエルンスト・マッハ「感覚の分析」を読んでいる。松野孝一郎の「内部観測」カント「純粋理性批判」マトウラーナ・ヴァレラ「知恵の樹」と読んできて、ここへたどり着いている。つぎのテーマはハイデガー「パルメニデス」といきたい。真実の女神の話はまさに「ユダヤ精神における普遍への憧憬」とも関連するテーマだ。同時に時間論の展開がおもしろい。

   親しい友人の句集をもらった。自然を見る目の確かさがそこにはあり、自分の知らないむつかしい漢字が使われているのをみてうらやましかった。豊かな精神生活とはこういうのをいうのだろう。

 

平成1376

   ニュースステーション「春名ちゃん殺人事件」の公判で父親の証言。「春名は最後まで犯人を信じていた。信頼を裏切った犯人は極刑にされるべきだ。」

   数日前にもおなじような報道。前夫の子供を母親や祖父など家族4人で虐待し、死に至らしめた。子供にはおかあさんはいないよと虐待。子供は虐待を受けながら「ぼくのおかあさんをつれてきて」と言ったそうだ。

   無垢な子供の無防備なしぐさや声が目の前に浮かぶような話だ。どうしてこのような悲惨な話が現実にあるのだろう。人間のやさしさは一体どこへいったのか?

 

平成1372

   なぜ、昨日ルネッサンスが到来していると思ったか、書店へ行き遺伝学の通俗解説書のおびただしい量を見てびっくりしたからだ。わたしの乏しい遺伝の知識でも、これは確かに異常な量だと感じたが、書棚4つ、ほぼ2坪近い壁際の一杯に遺伝を中心とする解釈の翻訳書があふれていた。そしてそのほとんどがダーウィンの進化論についてなんらかの新しい解釈を試みるものだったからだ。

   進化論というものは宗教と科学に深い影響を与えていることが否定できないが、しかし科学の書棚の大きな部分をこういった通俗解説書が占領している事実はまさに現在の価値観の混乱を象徴しているといってよいだろう。これらのなかには哲学に関する議論に終始している書物もあれば、生命化学の所見を述べているにすぎないもの、強引に自説に引っ張り込もうとしている教祖的学者の書物など混在している。これだけ、見解の分かれる点が多いのも進化論のなかになんらかの意味を見いだし、目的論へこじつけたいというニーズが世の中に多いからだろう。こまったことだ。具体的に例を挙げれば出版されてベストセラーにもなった「利己的遺伝子」などはその困った書物の代表だ。

   進化論の意味はなにかあるのか。進化論は拡散か、当為か?偶然性か?サイコロか?収束するのか?いずれでもないだろう。意味があって、なにかに収束するというのが世の中のひとの期待であっても、期待どおりでないから議論が百出するのだ。

   そのうち議論をしている人たちが無駄なトートロジーに精力を費やしているのに気づき、正味の議論の重要性に気づけばそこではじめて冷静な評価がでてくるのだろう。進化論は宗教ではないのだから。

 

平成1371

   現代はルネッサンスが到来しているといえるだろう。あらゆる分野で従来の思考様式、構築物の解体とあらたな提案、ヒントの洪水である。この混沌状態ともいえるなかから力強い動きが着実に生まれているといえるだろう。

   おそらく10年もすればわが国をはじめとする世界各国の国民の価値観は現在とはさま変わりとなり、自由でグローバルで拡張された世界観が支配しているだろう。

 

平成13628

   目的・目標ということ。目的や目標を持つということを重要なことだと小さな頃からよく言われた。友人にアドバイスを受けたし、目標に向かって努力することの闘争心がどれだけ必要かと励まされることもあった。裏返せば目的・目標のない闘争心の感じられない生活ぶりであったのだろう。これは少しも変わっていない。要するに生き方は興味の赴くまま、関心のあることには熱中するが、関心のないことに努力しなければならない目標を設けて時間を割くことの苦痛が耐えられない。目的・目標という言葉にマイナスのイメージしか涌いてこない。

   したがって、仕事の上での目的、目標というのはまさに食べるため、苦痛を耐え忍んでおこなうものという感じである。わがホームページのWORKSがいまだにUNDERCONSTRUCTIONであることの言い訳としてここに記入しておく。

   人事管理する立場になって、多いときには100人程度まで管理をしなければならない時期もあった。みずからの感覚がこのようなものなので、目標管理の重要性の理屈はわかるが、からだがついていかず人事管理・考課の恐ろしさは身にしみている。

   マネジメントは目的・目標というものとはたして不可分なのだろうか?体験からは違うような気がする。組織の構成メンバーがその生命力、勢い、生産性、能率を最大限発揮するのは目的・目標というものとは別の基準で動いている。組織が考えることを放棄した手法として考課基準を作成すれば目標・目的を利用する場合、模範解答が得られるだろう。しかし、組織全体で見たときには活力のもとは別にある。マルチエージェント理論の魅力はここにある。

 

平成13625

   先日の皆既日食をインターネットで生中継していたが、見そこなった。残念。このあたりがまだまだインターネット初心者だ。

   殺人事件が多くなっている気がするが、不景気やデフレ、多重債務者などの経済的背景が関係していると思う。

   失業者の増大、なかでも外国人失業者の増大、非自発的失業が気になる。先日も都会の地下街で生活している人2人が話をしているのを聞くともなしに通りすがりに聞いたが、「とにかく仕事がしたい」と言っていた。仕事のない人には深刻な問題だ。

   今日は、とにかく暑かった。風は強かったがその風が暑かった。今年一番だろう。野球選手がデイゲームで連戦ではいくらからだに自信があってもやはりつらいだろう。

 

平成13619

   「知恵の樹」(ウンベルト・マトウラーナ、フランシスコ・ヴァレラ著 ちくま学芸文庫)で粘菌の話が書いてある。南方熊楠が執着していたシステムはこれではなかったのか。

   再生産という現象は「親」「子」「兄弟」のあいだに、類似と構造的差異とがともに出現するということを含意している。

 

平成13617

   全米オープンゴルフであのタイガーウッズが苦戦している。狭いコースで思うようにいかないから精神的にもゆとりがなくなっているのだろう。ミスをしたときのしぐさに気持ちがあらわれている。彼も人の子だ。明日の最終日を期待しよう。

 

平成13615

   「パスカルの隠し絵」(著者名はあえて書かない)という新書を読んでいるが、フラストレーションのたまる本だ。一体何が言いたいんだ。功名争いと、嫉妬とプライド。弁論術と嘘ではない嘘。誉めてもけなしても人間社会の醜い面をあげつらうだけと思うのだが。このようなことの何がおもしろいのだろう。

   一見して関連がなく、おそらく迷惑を感じる人が多いだろうが、いわゆる「考古学かぶれ」している人にもいつもいらいらさせられる。日本の起源がどうの、卑弥呼がどうの、日本人はどこからきたのとおおまじめに研究する人の気が知れない。

   この二つのことは関連があるのではないか?ドストエフスキーの例の暗い本。地下生活者の手記をなんとなく思い出した。

   本居宣長は好きだし、柳田国男のフィールドワークのエネルギーも尊敬しているが、彼らの心を知っていれば日本の起源がどうなのかなどどうでもいい話ではないのか。逆説に聞こえるかもしれないがそう思う。

   E・レヴィナス「実存から実存者へ」をしばらくぶりにぱらぱらめくっていて、つぎのフレーズが目に入った。

   場所は、ひとつの地理的空間であるより前に、ハイデガー的世界の具体的な雰囲気であるより前に、ひとつの土台である。それゆえに身体とは、意識の出来そのものなのだ。いかなる意味でも身体は<もの>ではない。それはただ、この身体に魂が住み着いているからというだけでなく、身体の存在が実体的なものの次元ではなく出来事の次元に属しているからである。身体が定位されるのではなく、身体そのものが<定位>なのだ。身体はあらかじめ与えられた空間のなかに位置を占めるのではなく――それは、局所化=位置取りということ自体によって無名の存在のなかに不意に生じる侵入なのである。

   不透明な混沌としての意味をなさない舞の様式的な動きが型に浸透していけば、型と型とをつなぐ動作もまた舞の動きでいけるわけである。空間的な物まねを純粋持続の時間的なものに変換させたのは舞なのである。つまり舞こそが物まねをかかり(情趣)と統一して実現できる方法であったのだ。能を舞うといって、物まねするとも謡うともいわないのは、舞が演技のすべてを統一しているからである。そしてはじめて能面の様式が型と調和し得たのである。・・とこれは小林保治編集「能楽ハンドブック」の記載。

 

平成13613

   「知識モデリング」(小山照夫著・丸善)でものごとをどのようなレベルで把握するかは、実は問題を捉える視点に依存する。という記述がある。さらに自然言語の情報記述には、機械処理という観点からはいくつかの問題があり、単純な出来事の間の同時性や、順序性に関する記述そのものもまた、視点の相違という観点からいくつかの解釈を許容できるものでなければならない。また、空間的な相対位置、接続性や包含性、さらにはこれらの関係の時間的変化についても取り扱う必要のある場合もあるなど、実際の問題を処理するにあたって、記述モデルを慎重に選択しなければならない場合も多い。云々との記述がある。

   これらはまさしく読んだばかりの「カントの時間論」で論じられていることであるし、現代の言語論で指摘されていることだ。なるほどコンピュータの開発の仕事も一筋縄でいかないわけだ。

 

平成13611

   「カントの時間論」(中島義道著・岩波現代文庫)を読んだが、純粋理性批判のこういう読み方があるんだという刺激を受けた。とくに同時性に関する記述で、同時性とは単に時間における同一の位置を意味するのではなく、あくまでも動力学的な関係のうちにある諸物体間の相対的な時間上の同一の位置を意味するというのがあり、同時性の絶対的かつ自立的な尺度としての絶対空間を否定しているというところに興味をひかれた。言われてみればたしかにニュートンの空間に時間の根拠はない。

   該当のカントの記述。「諸物体は、それらが同一の時間に実際に存在するかぎり同時にある。だがわれわれは、何にもとづいてそれらが同一の時間に存在するということを認識するのであろうか。」

 

平成1364

   アンソニークインが亡くなった。代表作「その男ゾルバ」でのあのダンスが強烈な思い出として残っている。

 

平成13526

   「キラーウイルス感染症」(山内一也著・ふたばらいふ新書)を読んでなるほどと思ったのは、ラッサウイルスがマストミスという大型のネズミで出生直後に感染すると免疫寛容という状態になり、生涯ウイルスはネズミに排除されず共生するという部分である。ウイルスはネズミを発病させることなく一生尿の中に排泄されつづける。したがって、いまや感染症の原因の発見は自然宿主の捜索にかかっているそうだ。

   そして自然宿主を複数取得したウイルスはそれぞれの宿主で変異し、性質のことなるウイルスになっていく。かっての人類だけしか感染しない天然痘などのシンプルな感染症から異種動物間での感染に変化し、しかもそれぞれ変異していくとは恐ろしい話だ。人類はウイルスと共生する方法を模索するべきなのか?

   この書物でニューギニアフォア族にみられるクールーが米国国立衛生研究所のカールトン・ガイジュセック博士により羊のスクレイピー、人のクロイツフェルト・ヤコブ病と同じタイプの病気であることが解明されていたということをはじめて知った。クールーはフォア族の人間には誰が感染したかがすぐわかり、外部の観察者には斜視などの症状がでてきてはじめて感染がわかる不思議な病気だという本を読んだ記憶があるが、おそらく1960年代にはこれらのことがわかっていたのだろう。

   今日の日経の記事を見ると遺伝子組み替え食品で安全性の確認されていない原料の発見されたハウス食品「オーザック」の波紋が拡大している。雪印の轍を踏みたくないという経営者の恐怖が感じられる。  

 

平成13512

   今日はさわやかな五月晴れだった。気温も風も湿度も年に何度とないすばらしい日和だった。

   コミュニケーションに関心が向いていて、最近(415日第1刷)出た生物たちのハイテク戦略(ふたばらいふ新書)を読んだが、実に信じられない話が満載だ。生命の可能性はほとんど無限といってよいのではないか。生存競争とはなにかをあらためて考えさせられる。

 

平成1353

   また親しい人が亡くなった。悲しみはいつも突然やってくる。

   生田目章「マルチエージェントと複雑系」を読んで刺激を受け、共立出版分散強調メディアシリーズ「マルチエージェントシステム」沼岡千里ほか共著、丸善情報学シリーズ「知識モデリング」小山照夫著を購入した。さて読みきれるかな?

   個人再生手続きは4月第3週のはじめの情報だが東京地裁39件大阪地裁9件の申立だそうだ。全国で年間20万件と言われる民事調停・15万件とも言われる自己破産件数に比べてこれは一体なんだというのだ。

   万葉の昔、日本人は穏やかな精神状態であったに違いない。万葉の草花を見てそう思う。どの草花をとっても栽培植物でないためか自然そのものというやわらかさを感じる。特に近頃のスーパーマーケットなどで見かける形の整った見かけのよい大型の野菜を見慣れた目には異様に自然を感じる。

   藤の花が今満開だ。ほぼ新緑が出揃った。気になるのは最近松ノ木で枯れているのが多いこと。

 

平成13419

   周囲に転職をする人が増加してきた。5年前と比べても隔世の感がある。不景気で新卒も中途も就職難であるのに、必要な人材は必要とする企業に供給されていないという現実がある。人材が流動化して企業の側も対応しやすくなっている。首にするにも抵抗感がなくなってきているうえに首にされるほうも抵抗感が薄れているといえよう。

   ファーストリテイリングの小売業2位への進出は時代の流れとはいえ従来の常識しか持ち合わせていないものにはショックだろう。緻密な計画と断固たる意志が成功物語を生んでいる。あたりまえのことを実行できるのは非凡な才能だ。

   この2週間ほど睡眠時間が少なくて厳しい。春だからなにをするにも、もうすこしのんびりしないと。なにをそんなに思いつめたようにするんだ。ばかばか!体調のセルフコントロールは精神力だ。今日は何もしないでさあ寝よう。テレビでも「あしたがある、あしたがある」と歌っている。

 

平成1344

   いよいよプロ野球シーズンだ。まだ寒いが熱心なファンは球場に足をはこんで応援している。

   森総理の退陣が確定したらしい。野党も困るだろう。

   一昨日に家の近所で捨て猫を見かけた。ついて来るので困ったが、捨てる人も困ったものだ。

   このごろのコマーシャルはパターンがいくつかに分類できる。あきらかに発想の貧困なおじさんが作った親父ギャグ系のコマーシャルが後を絶たない。これも困ったものだ。同類として忠告したいができない。

 

平成1343

   社会人ひんやりと見る八分咲き

   新社会人が誕生している。就職の氷河期はまだ終わっていないので緊張感が伝わってくる。

 

平成13324

   松野孝一郎の主張で衝撃的なのは、われわれを含む言語使用者に自明なのは時間ではなくて時計のほうである、というくだりだ。

   ヴァレラやルーマンのオートポイエーシスの主張にもこれは窺がえる。あらたな生気論の興隆といえよう。物理学は危機に瀕している。

            

平成13321

   松野孝一郎の「内部観測とは何か」を読んでいるがこれが非常におもしろい。

   同時に法務省始関正光「個人再生手続」を読んでいる。

   また、生田目章「マルチエージェントと複雑系」も読もうとしている。

   これらは密接に関連したテーマだ。評価、観測に関連する相互作用がどのように意思決定にかかわることができるのか。フローで個人を評価する動的把握と言う点で貴重なヒントがある。外的自己と内的自己の矛盾により、モラルハザードが生じる過程をあざやかに描き出している。

   現在の経済環境を突破するために個人再生手続きはひとつのルールのあり方を示しているが、手続きを選択する瞬間に債務者は大きな意思決定をしているわけだ。外部から窺い知れない、債権者とは無縁のところにある債務者の内部事情をポテンシャルとして生かすことができるか、ここがこの新しい法律の生命線であろう。

 

平成13318

   通信の際にパケットに必須のヘッダーの役割とオペロン。

   MSEXCELを使用していてデータ処理をするときに無意識にテールに付けていたフラグとテロメア。

   これらは自然を人間が真似たというより、こうせざるを得ないという必然性のアナロジーと言えるのではないか。

   実際、EXCELで作業をしていて処理を事前に考えず、その場の思いつきで表を完成していくと無駄なフラグが必ず出てくる。生物の遺伝子に含まれている多くの意味の無いたんぱく質の配列はまさに思いつき・行き当たりばったりのゴミだ。

   しかし後者には決定的に似て非なるものがある。偶然性だ。

 

平成13315

   最近20年ほどの人類の病気には、将来を予感させるような不気味な病気が見られる。花粉症・耐性菌・エボラ出血熱・免疫不全症候群。そして動物にも狂牛病など奇妙な病気がある。

   これまで診断が正確にできなかったからわからなかったのかもしれないが、いずれもたんぱく質・遺伝子などの異常な増殖、受容体の正常な活動を妨げる生体機構の異常などであろう。

   これまで考えられていた変異のスピードは非常にゆっくりとした進化のスピードであったが、実際には猛烈なスピードで人類という種が変化しているのではないか?人類は急速に進路を変え、生存の可能性を失いつつあるような気がしてならない。

   生存の競争力を失っていく大きな原因の一つは、工業製品の利用、とくに食品にあるような気がする。もちろんこれは自然食品を礼賛するつもりで言っているわけではない。食生活のもたらす影響は免疫力の低下を招き、住居におけるシック症候群などの遠因にもなっているのだろう。

   一方で生命のもっている可能性は、またこれが無限と言っていいだろう。上記の悲観論をいっぺんに吹き飛ばしてくれる。基本的に私は楽天家なのか、馬鹿なのか、深刻に考える人のいうことも理屈ではわかるが生物としては何とかなるだろうという気がする。簡単に死すべき運命にあるというのに!

 

平成1338

   昨日から今日にかけて思っていたが、ゲノムの解読はマスコミの期待するような即効性のある成果をあげることができないということ。

   ゲノムの解読では遺伝子の塩基配列が確定するだけで、その意味は解読されるわけではない。

   塩基配列が意味を持っているというよりも、空間構造に意味がある。すなわち、遺伝子というよりもたんぱく質の構造物がどのような組み合わせを可能にし、どのように空間的広がりを展開していくかというシミュレーションが解明されてはじめて意味が生じてくる。

   意味の生じてくる次元もその規模(スケール)によりさまざまである。

   たんぱく質レベルで直接反応が生じ、意味が出るもの。血液・白血球などのレベルで意味が生じるもの。器官の大きさで意味が出るもの。さまざまな大きさまでプログラムが実行されて最終的に仕掛けが生きてくる。途中で空間的障害が生じれば、反応がストップするなり、無理な形での成長がなされて、他の器官との連携が不調となるだろう。

   塩基配列が3万程度でもそのシミュレーションの可能性の数は無数である。三次元でねずみ算が展開されるわけだから想像もできない。不思議な現象でこれらの構築物が肉体に与える意味の解明はずっと先の話だろう。ましてや精神に与える意味など解明できないだろう。 

 

平成1334

   「空間経済学」113日日経記事)なんとか読了。考え方はわかるが、数式はむつかしい。

   読む前に藤田教授の論文の日本とアジアの関係への展開、今の日本の現状認識で学説の適用において対象を混同しているのではないかという違和感があった。

   読了しても現実にシミュレーションを提示されていないので新聞記事の意見が裏づけのある話なのかよくわからない。貿易障壁の大きさ、有無についてはいろいろなレベルがあり、とくに労働力についてはまだ分析できるところまでこなれていないのではないかという気がした。本書では賃金の額で比較的シンプルに移動を前提しているのだ。また、農業と工業の位置付けも割り切っている点にやや不満が残った。しかし、自己組織化の過程でよく見られる動きが都市の形成にあてはまることなど、示唆的でおもしろい書物であることには違いない。実験的手法だが、だれも試みていなかったことをここまでやりきったということそのものが大きく評価されるべきだろう。

 

平成1333

   親しい人の葬儀に行った。人の別れはどこも悲しい。

   別れきて壁越しに聞く子の叫び

   残されて礼言う母は車椅子

  

平成13227

   25日に梅を見に行った。風が強かったが、晴れており日差しが春だったのでよい梅見になった。

   ひだまりで梅にやすらぐ青い空

   梅みれば無言のあゆみ同じ道

   寒風に鳩の向かうは高き枝

 

平成13224

   2ヶ月前にも書いているが、最近は日記が長続きしたためしがない。青春時代の戦闘意欲はどこへいったのか?ウルマンの箴言を待つまでもなく、これは柔軟性の指標であり、また習慣化している人には意識されていないだろうが精神力の問題でもある。

   散歩に出たいという気持ちは強いのに、遠方への旅は億劫になってきた。新しい発見は身近にあるというあたりまえの事実がよけいにそう思わせるのかもしれない。カントのように生涯町から出ないというのも極端だが。

 

平成1325

   スーパーテレビ阿寒の森の四季物語。キタキツネの物語、エゾシカの映像。自然の美しさときびしさの記録がすばらしい。モモンガも美しかった。 

 

平成1323

   ブロードキャスター報道。日航機ニアミス事故。警察の事情聴取にパイロットが弁護士をつけたことに国民感情で反発があるという話。なんという国民かと思う。おおやけより個人を優先しているという感情がその背景にある。たしかに指摘されれば日本社会にはその感情がある。

 

平成13128

   毎日のように報道される幼児虐待、親の子供殺人。子供の遺棄。ひどいもんだ。

   これは今の大人の世代に責任がある。とくに戦後の教育を受けて育った親の責任であろう。私もそのうちのひとりだ。

   悪いことをきちんと悪いと言えない大人に何と言っても責任があるし、臭いものには蓋という事なかれ主義の風潮が原因だ。私も含め大人は猛省しなければならない。

   14日の日に書いた成人式の高知の新成人は、知事のところへ謝罪に行った由。みずから行ったらしいが大人の側のパフォーマンスには絶好の話であったろう。若者と大人の対話は結局大人の対話しかありえない。

   ところで、過去に、私がホームページ記載の中で新聞の記事に言及した部分は、著作権問題はよくわからないが、感想を記載するために記事を引用してリンクをしている。ところが当然のことながら記事は更新されるので、何が書かれていたか今となってはわからないものができてしまった。おそまつ!

 

平成13122

  *今日一日寝てあらためてカウンターを作ったら一発でできた。なんだ簡単だ。

 

平成13121

   昨日からトップページをフレームにする作業を続けているが、やはりカウンターをうまく作れない。仕方がないのでとりあえずそのままとしておくことにした。

    背景色はなんとか復活したが、いまひとつ。  

 

平成13120

   今日はトップページにフレームを作成し、MENU部分を別フレームにした。

    ところが、やっぱり初心者の悲しさでうまくできず背景の色はどこかへいってしまうし、カウンターが言うことをきかなくなってやむなく削除する羽目に陥った。いつのまにか更新日もどこかへいった。さびしい。なにより2つのフレームで背景色のアンバランスなのがイライラする。3ヶ月ほど使った絵もなんとなく色があせたように見える。

 

平成13114

   今日はとても天気がよい。冷たい風が強く、汚れた空気が吹き飛ばされて爽快だ。

   習俗は変化し、沈殿する。コモンセンスとなったものとそれを生み出した情念とはあきらかに相違するし、時間的にもずれがある。言葉も然り、習俗やセンスなら容易に変化していき、「世の中も変わった」で済むものを役所は行事に仕立て、それを固定して実行に移すので軋轢が生ずる。なにごともそれが生成する場面での事情、意思があるもので魂の抜けた抜け殻に敬意を表明しろと言っても相手にされない。各地での成人式での役所に対する反発には制度、行事に対する本能的な拒否がある。

   金融庁のノーアクションレター制度にもこの危険が同居している。変化するものを固定化し、魂を抜くことに本質的な悪を見抜く若者の感性をどのように採り入れるか。人類はまだその手段を持たない。

   習俗、習慣は流行と時代の雰囲気で変化する。深く沈殿した習慣はなかなか変化しない。それらは行事の形式、生活様式、言葉の使い方、価値基準等世界のあり方をその都度規定していく。現代は情報の伝播による地理的凝集の時代であるともいえるだろう。散文的でないこの時代はスピードも上がり、それだけ秩序崩壊の危険も大きい。

 

平成13110

   今日職場の同僚と飲んでいるときに出た話の内容。われわれの10歳上の世代、現在60歳から62歳位の人は生涯最も手厚く国に処遇してもらっている。なるほど、ひがみでいうわけではないが、団塊の世代はたしかに割を食っている。しかしこれはどうしようもない。いまさら分け前を若い世代に等しく分け与えてよと言ったところで、無理だ。世の中の仕組みをそうせよと、数十年もかけて社会的な強い圧力がかかって成立したものだ。いまさらすぐに元に戻せるわけがない。

   ドラッカーが、30年前に言ったことが今はじめて実感として世の中の人に理解されたわけだが、気が付いたときには身動きできなくなっている。人類はなんと賢く、またなんとバカかとつくづく思う。

 

平成1317

   今日はMENUを作ろうとして構想を練っていたが、その過程でいろいろと気が付いた。

   ひとつ、ホームページは大変な作業が必要だと思い込んでいたが、要は世界中の同じ思いの人が参加できる場を作れば、あとはひとりでに構築されていくということ。技術的なことも含めて好きな人がやればこんなに幸せなことはない。

   ふたつ、上記のことが達成できるためには面白くなくてはいけない。あたりまえだ。で、それはどうするのか?要はひとりよがりで私利私欲のページは見向きもされず、世界中の人に関心のあることと自分の関心のあることとが一致して初めて上記作業が成立する。

   評論家の先生がこのようなことを言っているのをいろいろなところで見聞きしているが、やっとその意味を納得した。

   誰もが手を抜こうとして人の力をあてにしている。しかしこのマイナスの圧力が分業化と知恵の統合の偉大な力の源泉となっているのだ。これこそが情報の力だ。

 

平成1311

   21世紀はじめの日はのどかな日和だった。

   テレビ、新聞ではあたらしい潮流、あたらしい技術が夢を育むという特集が一杯でやや食傷気味。

   年賀状がまたたくさんきて、いろいろなリレーションの方法について考えた。年賀状は忘れないというだけの仕組みで積極的なリレーションにはなりえない。

   今年ははじめて電子メールアドレスの連絡のある数人にMAILを送った。

   今年は不景気なこともあり、おとなしく生活に専念しなければならないので、じっくりと自らの考えを暖める年としよう。それぞれの課題には立ち向かうための精神力と持続力、そして緻密さが必要だ。

 

平成121231

   いよいよ20世紀も今日一日となった。

   世の中が殺伐としてやりきれないニュースが続いているが、方向が分からないためにこのようになっているのだろうとつくづく思う。適切な羅針盤、磁石、地図の必要性があるのか?おそらく、不要なのだろう。この状態が新しいものの生まれる状態(環境)に違いない。

   20世紀はどのような時代であったか。日経新聞の科学技術10大発見は@相対性理論A量子力学体系BDNA二重螺旋構造CペニシリンD核分裂E宇宙の膨張F原子核G原子構造モデルH超伝導I大陸移動説Jビッグバン理論となっている。また、10大発明は@コンピュータAトランジスタB飛行機C遺伝子組み替え技術D核兵器EテレビFインターネットG合成樹脂・繊維・ゴムH人工衛星・友人宇宙飛行I原子力発電である。なるほどとも思うが、重複したことを挙げているのではないかとも思う。ジャンルの違うものもいっしょくたで時代の雰囲気そのものの順位付けかな。

   日経の記事で気が付いたのは素材の点。たしかに人類は20世紀に新たな素材を獲得した。特筆するべきはセラミックであろう。石油資源という限りのある資源で20世紀が特徴付けられるとすれば、将来セラミックの発明が賞賛されるだろう。

   技術の点では、医療に与えたインパクトが大きい。電子技術は診断・手術で革命を起こしたし、化学は、新しい薬品を合成する技術を確立した。さらに、遺伝子操作による、生命コントロールの時代が目前である。人類はここに希望を抱いているが、おそらく近い将来うまくコントロールできなくなり、自己矛盾が噴出したうえスピードアップしたきっかけの時代として記憶に残るだろう。

   新しい人類の財産はこのようなもののなかから生まれてこないような気がする。過去の歴史を見れば大きな問題を抱えたときにはかならず、簡単で誰もが納得する考え方が提唱され、世の中が整理されている。戦争と殺戮の歴史でなく、科学と宗教の歴史でもない考え方の歴史がある。

 

平成121224

   吉川英治が「忘れ残りの記」に書いているが、日記を書く人と書かない人の違いというものがある。私は吉川英治のようにすべて捨ててしまう習慣があるわけではないがほぼそれに近い。しかも記憶が悪いから書いていないことは忘れてよく恥ずかしい思いをする。

    10歳台の中頃から20歳台の中頃まで日記を集中的につけていたが、その後ぱったりやめてしまった。ときどき、思い出したように書くことがあるが、長続きしていない。つまりは青春時代の自分との戦いの記録であった。

 

平成12年11月29日

   今日はホームページを開いてその後の進展があまりない事態をどうするか考えている。

   その後ときどきHOBBYは記入し、少しずつでも内容を記載して充実しようとしているが、大変な作業であることに違いはない。毎日大量の文章・画像を更新しつづける多くの人々のホームページ作成パワーにただただ脱帽である。

   そうだ、結局は世の中の人々はパワーをもてあましているにちがいない。私はそんな簡単な事実に気がついていないということだ。

 

平成12114日 

   今日はカウンターを設置した。自分で見に行ったのもカウントされて、なんだかむなしい。

   しかし、自信の持てるホームページになるまではどこにも登録せず、孤立をまもるぞ。発見されたら仕方がない。カウントしてあげよう。ついでにこのDIARYのページも表題の字を大きくした。  

 

平成121026

   しばらくインターネットとご無沙汰していたが、ポパーの「フレームワークの神話」を読み終えて、次の本に入る前にひとこと書きたくなった。

   ポパーという人は、注意力と情報力はたいしたものだがどうもいただけない。私と同じ性格のところがますますいやだ。

  なによりエリート風が吹いていて鼻につく。どうして学者はこうなんだ。すなおになれない。

 

平成121017

   今日はやっと日記を更新できそうだ。

   インターネットの世界は本当に奥が深い。いろいろなサイトを見ていると、本人のなにげなく書いていることが、ほかの人にどのような読み方をされているか、はた目でよくわかる。わたしのこのページもそういう意味では同じだろう。本人はわかっていない。

   2日前からポパーを読んでいる。論文集だがやや言い訳が多く、気になる。誰も主張を見てけちをつけるとか、命まで奪おうといっているわけでないのに、言い訳が多い。堂々と信念を述べればよいのに。反証可能性を地でいく自信のなさがいらいらするが、読んでいると示唆されることは多い。

 

平成121012

   今日は元気がない。少々睡眠不足。

   だらだらと文章を書いても誰も読んでくれないし、関心もない。あたりまえの話で、人に読んでもらおうというところからしてまず動機が不純である。

   エッセンスのみ開示し、無駄を極限まで省くのがホームページの在りようであろう。もちろん背後にはさまざまな付録があってもよいが、あくまで付録だろう。

   いろいろな意味でこのDIARYは反省の場である。次に気が向いたときにアップロードすることにしよう。

 

平成121010

   今日はホームページをさわるのをやめた。しかし多少修正。

   6日の日にはホームページを作成したが、アップロードできずに失敗。翌日7日プロバイダー推奨のMS/DOSを使ってやっとアップロード成功

   しかし、サーバー側がどうなっているかさっぱりわからず、えいやーで終了。

   8日フリーソフトのFTPを入手。いろいろやってみてわかってきた次第。

   とにかく、どこまでがインターネット上で公開され、どこからが公開されていないかもよくわからずにホームページを作成した。こんなんでいいのかな?

 

平成12109

   今日はNetscape CommunicatorをダウンロードしてMy homepageを見た。なんだか表題のてっぺんが切れてしまって、これではいけないと思った。

   しかし、こうやって更新するのは大変な作業だ。おそらく、個人のホームページの維持には相当の情熱を持っている人でないと途中で落伍する。なにが目的かわからなくなる。

   NET利用者に目的などはたしてあるのか?TVを漫然と眺めているのとおなじで、ながめて受け入れているだけではないか。そういった意味ではNETは音楽と一緒といえる。振り返るのは接続を切ったあとというのが本音ではないか。

 

平成12108

   ホームページを公開して2日目。やっと、ファイルがどこにあるのかおぼろげながらわかってきた。

   ホームページの公開は単に手段だといっても素人にはなかなか作成そのものが大変だと思う。かつまた、技術的な知識がないので不安も大きい人が多いのではないかと思う。

   それならなぜこのようなことをするのか?

   それは、私の年代のおじさんが感じている不安感というものが、おそらくこの世界へ踏み入っていく不安感より大きいからだと思う。