時刻

 

    出来事の要素のひとつに時刻がある。発生したのはいつかを問う。

    ビッグバンの太古から、将来にかけての人類にとっての時刻はさまざまな意味を持っている。

    時刻は時間ではない。

    人類にとっての時刻と、シアノバクテリアにとっての時刻は違う。種として存在していた期間(時刻と時刻のあいだの長さ)が違う。

 

    人間の意思決定には決定の瞬間がある。日常生活は決定の繰り返しである。

    重要な決定を行うときは決定に至る時間が長く感じられる。集中しているときに感じる瞬間は、ときとして永遠に近い長さをもつ。

    また、能動的時刻より人間にとって最も記憶に残るのは受動的瞬間である。印象的場面、ふとしたシーンがまざまざとよみがえることがある。これらは人類にとって受動的な感覚が瞬間の記憶となって残るのに違いない。

 

    日常生活でわれわれが意識するのは期限となる時刻である。共通の世界にいるという証しは時刻にあると言わんばかりに、約束は時刻でなされることが多い。場所とともに人間の人間らしい関係表現の基礎に時刻があると言えるだろう。

 

    ひとは整合性のある発言をしようとする。つじつまを合わせるためにすべての出来事を同じ時刻に同期させて、同じ議論の俎上にのせる。他人とはその発言の言葉により、同一の世界を経験する。しかし、全くの同期はありえない。ある瞬間の時刻はひとりの人間にしか経験しえず、他人と共有するわけにはいかない。

 

    継起的事象を体験しているのはその一人の人間または生命であって、外部の生命、人間はその結果しかわからない。

 

    時刻と時間のどちらが本質的か。これまでは時間であるというのが常識であった。時間を本質的とみなさなければ世界が記述できないからというわけだ。