位置

 

    位置はなにによって決めることが可能か。絶対基準の根拠の薄弱さ。

    IPアドレスが示す世界地図上の位置

    位置の根拠は薄弱だ。しかしそこに問題点は集約されている。フッサールの極めようとした作業の根拠。ハイデガーの根拠。生命論で見られる根拠もつまるところ位置の確定との格闘だろう。

    大地が人類にとって、生命にとって揺るぎない根拠といえたのが幸せな期間ともいえる。力が、重力がその根拠足りえたのだから。今これらに代わる根拠は何だろう。認識論の限界と感覚の世界との境界。生命論の中にその希望があるのだろうか

 

    われわれは今や純粋悟性「アプリオリ・カテゴリー」の領土を遍歴して、そのあらゆる部分を入念に検分しただけでなく、その広さをすっかり測量して、この領土のあらゆる事物にそれぞれの正しい位置を規定した。この領土はひとつの島であって、本質的に不変の限界のうちに閉じ込められている。それは真理の土地であり、広大な荒れ狂う大洋という錯誤の故郷に取り囲まれているのであって、そこでは多くの霧峰や、たちまち溶け去る多くの氷山が彼方の海岸と思い誤らせ、冒険好きな航海者を絶えず空しい希望で欺きつつ、彼を冒険のうちへ巻き込むが、そうした冒険を彼は決してやめることも終わらせることもできない。<カント純粋理性批判より・・この不安な感情は根拠の渇望そのものだ。>

 

    弱く了解されている意味論的表象は、なにかについて解釈できるあらゆることに言及する。表象は解釈されなければ容易に別のものになってしまう。地図であれ、言語であれ陳述はそれが真になる十分条件を表象する。そしてそれがもっとも実用的な陳述である。しかし、これらは認識論や存在論の根拠を担うには弱すぎる。

 

    文化的単位というものは、その解釈項を並べてみただけで他と区別して規定できるというわけではない。それはそれと対立し、それを限定する他の文化的単位の体系の中に位置づけられることによってはじめて規定される。文化的単位はそれと対立する別な文化的単位が存在するからこそ「存在し」、認識されるのである。<U.エーコ記号論より>

 

    神崎正英はRDFicalical:geoプロパティを使ってGeoボキャブラリ(geo:lat/geo:long)を記述しようとしている。ところが、IRCでの議論によるとGEOPOINTSに相当するリソースをGEOの定義では持つことができないということになるようだ。問題はこの場合、イベントにGeoボキャブラリを使って位置情報を結びつけるために必要となるical:geo以外の広く使われているプロパティが存在しないというところにある。

 

    ファセット分類は上記と反対に位置を特定しない実用的な手段だ。拡散の手法。公安でなく警察の手法。

 

    ココギコで追求されている位置情報、ここまでくると軍事水準だ。