犯罪について

 

    平成13112日の日経春秋の記事。筆者の知人が電車の中で出くわした暴力行為を警察が喧嘩両成敗と処理するところ、それはおかしいと証言者を買って出た話。正義と犯罪。無法と事なかれ主義の論点を的確に言っている。

 

    日航機ニアミス事故。到着した飛行機のコックピットに警察が侵入した由。傷害事件ではあるが、そこまでするかという感じがする。結果として管制官の管制ミスという報道がなされると、違和感が残る。警察はマスコミに過敏になりすぎていないか。

 

    医師が殺人で逮捕される例が最近少しずつ出てきた。医師は故意に殺人を犯しているのか。救命と殺人の境界はどこにあるのか。医師というのは因果な職業だ。

 

    雪印食中毒はついに刑事事件としてトップが送検される事態になった。被害の大きさ、死者が出たことなど社会的影響の広がりは経営判断が容易に刑事事件になりうることを示した。実態が明らかになってからはこのような結論となることを大方の人は予想していただろう。とくに、保健所から公表を求められているのに事態を放置したり、事実を隠したり、営業優先で製品回収を見送った責任は重い。工場でのずさんな管理も問題だが、事態を甘く見たトップの責任がやはりだれがみても最も重いだろう。

 

    8人もの児童を包丁で殺した容疑者が、弁護人を拒否している。真の動機はいまだ不明ながら、マスコミの報道などと照らし合わせると半ば自暴自棄で弱いものへの犯罪に至ったと思われる。このような犯罪はどうしたら防げるのか。ドストエフスキーの小説にも出てくる重い課題だ。

 

    平成1472日の記事。テレビ東京の対応。これが犯罪でなくてなにを犯罪と言うのか。マスコミの本分をはき違えている。真摯に報道している多くの報道人にとって情けない話だろう。

 

    8人の児童殺しの動機はやはり不明だ。ダンプカーで繁華街に突っ込んだりすることも考えたというから児童でなく誰でもよかったということになる。恵まれた家に生まれて勉強ができても、わずか5分や10分で殺される不条理さを世の中に分からせたかったと。ダンプカーとつじつまの合わない話だ。一方で健常な子供を作ることで自分をチャラにしたかったとも言っている。これは自分が生まれ変われるという幻想があったのか。もしくは子供を自分の身代わりにしようとしていたのか。わかったようで分からない話だ。おそらく自分の考えていること、やっていることの次に生起する物事に対する想像力が極度に不足しているとしか思えない。本人はストレートに質問に答えているが他人に分からせることのできる答えではない。納得いかないのだ。

 

    8人の児童殺しの判決はまだ確定していないが、国と遺族が合意書を取り交わした

    ショッキングな事件であったために、国民の関心は判決と同時に国がどこまで責任をみとめるのかにかかっていたが、あっさりと責任を認めた。これまでの国の官僚の考え方では責任を回避しようとしただろう。国民の高い関心が政治を動かしたとも言える。しかし、今回の解決方法は、従来の同様な事例の解決方法と相違し、納得のいかない別の事件の被害者が多数いるに違いない。そういう意味ではあまりにも公平性を欠き、従前の被害者の悲しみを倍加したとも言えるだろう。ただひとつの救いは、今後同様なケースが発生しても、国が責任を認める可能性が高くなったということだ。

 

    弁護人がなんと言おうとも、この報道を見る限り本人に反省の意識はないといえる。遺族にとって動機のわからない不気味な生き物の餌食になったとしかいえないことは底知れない悲しみをもたらす。もっと人間らしくしてくれと呼びかけたい。おそらく、この被告は常人を上回る肉体的能力をコントロールできない状況に陥っており、本能のままに動いているだけなのだろう。