家庭

 

    家庭はすべての源泉である。

    家庭において秩序は最大となり、次なるポイントへの準備がなされる。

    どうして家庭では情報の欠如が起こらないのか。情報の最大の状態は本来家庭にある。

    いろいろな知識を身につけるのは家庭で手に入れる情報だ。教育の原点が家庭にある。

    人が帰ろうとするところが家庭。そこには理想郷があるが、一方これほどもろいものもない。

    子供の存在は家庭の重要な要素だろう。しかし子供とは一体なにか。小さな大人ではない子供。それは種の存続をかけた生命の営みだ。

    家庭が安定するとはどのようなことを言うのだろう。巣立ちが終われば家庭の役割は終わりだ。本質的存在意義はなくなる。帰るところの田舎の意味だけが残る。

    崩壊した家庭はおのおのの構成員が自分だけ独立した存在であると錯覚した結果だ。

    家庭の絆は太く、記憶や社会的圧力により一旦関係ができると生命のある限りまず関係の切れることはない。

    民法の基本的な部分は家庭の定めだ。そしてこれこそ世の中の問題点の縮図だ。第三者が家庭に踏み込んでどんな解決をしようというのか。家庭の問題は自ら解決しなければだれも解決してくれない。

    法によらず、他人による解決もしない普通の人は先人の教えを参考にしようとするだろう。知恵は本来家庭の中で尊重され子供に受け継がれなければならない。崩壊した家庭ではおのおのがなんとかして大切な知恵を習得しなければならない。

 

    北朝鮮拉致被害者の家庭の問題は悲劇そのものだ。拉致された本人とその日本国内の家族とはもちろん親子の関係があるが、北朝鮮に育った被害者本人の家族もまた同じ親子関係にある。この悲劇を治癒するには双方の国家の関与を排除する以外にないが悲しいことにそれは不可能なことだ。今日本の国がなんとかしようとしているが、かえって政治の道具にされるのではないかとの危惧がぬぐえない。それこそ双方の国家の為政者にとっての思うつぼだ。彼等に両国家の往来の自由を認めるのが最善でその方向へ交渉を収斂させるのが望ましいと思う。被害者である彼等に望むのは酷だが両国の平和と相互理解の使者たりうればなおさらよいだろう。