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私の仕事?社会的評価がどうであれ、きちんと述べることのできるものはない。以下興味のある人は読んで下さい。

 

職業の選択と仕事、労働

職業は本人の社会への関わり合いの窓口だ。就職という言葉が示すように、これは選択の話であって、どのように社会と関わるか自分で考えるべき部分だ。したがって、努力していく目標もこのなかで見出す。

一方、本人が思っているほど仕事は尊いものではないというのがこれまでの私の社会人生活の実感だ。結果が仕事の要素。成果はモノであったりかたちであったり、自分や他人の生活、生命そのものであったりするが、世の中の他人にそれがどのようにかかわるのか、それを見る人、利用する人、あてがわれる人、いずれも真に必要とされるかどうかが尊さのひとつの基準だ。仕事の中で社会的に評価される部分が大きいほどやりがいはあるだろう。しかし、社会的評価ほどうつろいやすいものもない。一時的に評価を受けてもすぐに忘れられる。要は自分でどの程度納得できるか、自分の評価が大きな要素だ。

そして、労働は前の二者とは明らかに違う。労働は尊い。肉体労働も頭脳労働も。神聖なものは労働に宿っている。これは質的なもので自分の生き様と言える。自分の汗の中には自分を納得させるものがあるし、家族への思いやりやコミュニティへの奉仕の精神が原動力になっている。自分の生活に対するプライドはまさにこの労働によって培われる。そして、家族が生計を立てている私にプライドを持っているとすればこの部分だろう。要は一生懸命働いているかどうかだ。

 

サラリーマン

企業に勤務するサラリーマンはある意味で労働者そのものだ。そして、私はサラリーマンだ。今の社会情勢は団塊世代の私にも引退を迫っている。出処進退を決めるにはまだ早いと自分では思っているのに。私の労働意欲はまだ強い。職業選択における過去に抱いた目標と自らの仕事の結果が執着心をもたらしているのだろう。他人から見ればばかばかしい話で、年をとってサラリーマンを引退しなければならないのはあたりまえなのだが。

 

引退と再出発

平成15年の今年はいろいろなところで引退が話題になった。道路公団総裁、元首相、野球監督、野球選手。

そして、身の回りでも次から次から引退する人が出た。その年代になったといえばそうなのだろうが、団塊の世代の私がとくにその渦中にあるのは事実だろう。ここは心機一転再出発を誓って起業も考えるべきかなとも思っている。

事業はスピードと決断が重要だ。サラリーマンだった私にできるかな?されど団塊。(平成15119日)

 

平成15年の言葉

新聞で平成15年を表す言葉に「心機一転」が決まったそうだ。そうだろうな、私も上記のごとく心機一転の心境だ。

 

平成1615

仕事には1人の職業人としての誇り、気概、志……。それらを確認する作業としての正月の仕事始めという意味あいがあるそうな。私のもつ語感からはややちがう印象があるのだが。日経「春秋」子の見解。

 

平成1655

NAOYAさんによる若者の転職についてのBlogを読むとなかなか考えさせられる。『仕事のなかの曖昧な不安』 を読んで。」という記事の中で指摘しているのは、「若年失業率の高さ、同一の職場への定着率の低下を招いている根本の原因は、中高年雇用のいっそうの維持を保証する「既得権」の強化が若年の就業機会を奪っていくことにあると著者の玄田有史氏は説明します」という部分。そうだろうな、自分が中高年であればなおさらそう思う。既得権とはなにか。雇用の保証とは事業主から見ていったい何なのか。おとなはもっと自分自身をしっかり見据えるべきだと若者の意見をきいて思う。

その記述から印象的な部分を抜粋「僕は社会人になって今年で3年目ですが、この2年の間に職場で体験してきたことや、周囲から聞いている様子を総合すると、書籍のテーマにかなり共感できることが多かったです。一方で、僕の働くインターネット業界(?)は非常に若いメンバーで構成されていることもあって、その他の業界で働く同期の友人なんかに比べるとかなり恵まれた職場環境なんだと実感することもしばしば。(若いエネルギーが業界を動かす原動力だとはっきり認識している年配の方が多いのも、いいところかな。) その理由をはっきりと知ることができたのは結構な収穫でした。本書を通じて個人的に思ったのは、大人のせいとわかっていてもそれを盾に自分を正当化しない強い信念が、なんだかんだでやっぱり大事かなあということ。データが証明するそれらの事実を分かったとしても、結局は行動を起こさないかぎりそれは変わらないわけです。」と。